第2870回 2021-22シーズン開幕(3) パリサンジェルマン、リオネル・メッシを獲得
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■シーズン開幕後に移籍が決まったリオネル・メッシ
悲願のチャンピオンズリーグ優勝を狙うパリサンジェルマンはチャンピオンズリーグの優勝経験のあるアクラフ・ハキミ、ジョルジニオ・ワイナルドゥム、セルヒオ・ラモス、そして欧州選手権の優勝メンバーで最優秀選手となったジャンルイジ・ドンナルンマを獲得した。これらの選手は7月に契約をまとめたが、8月にシーズンが開幕してから超大物がパリサンジェルマンのユニフォームを着ることになった。それがリオネル・メッシである。
メッシはスペインのバルセロナに所属し、アルゼンチン代表である。これまで対戦相手として何回も本連載に登場してきたが、改めてその素晴らしさとパリサンジェルマンに与えるインパクトについて紹介しよう。
■バルセロナでルドビック・ジュリーとポジション争い
メッシは1987年、アルゼンチンのロサリオで生まれ、幼少期から天才少年としてゴールを量産する。13歳の時、バルセロナの入団テストに合格する。そしてこれまで22年間バルセロナに在籍してきた。入団時の身長はわずか143センチであった。17歳の2004年に背番号30をつけて初出場し、このシーズンに初得点もマークしている。フランスのファンにメッシの名前が認識されたのはこのころのことである。フランス代表のルドビック・ジュリーとのポジションをメッシが争うことになったからである。メッシはトップチーム2年目の2005-06シーズンにチャンピオンズリーグの優勝メンバーとなる。
■合計4回、チャンピオンズリーグを制覇
本連載の初登場は第764回、2007-08シーズンのチャンピオンズリーグのグループリーグ、メッシは当時フランスリーグで6連覇を果たしていたリヨンから得点を奪い、バルセロナが3-0と勝利している。このシーズンのチャンピオンズリーグでは優勝することはできなかったが、2008-09シーズンはチャンピオンズリーグ2回目の戴冠、決勝トーナメント1回戦でリヨンを下し、カンプノウでの第2戦では得点を決めている。チャンピオンズリーグは2010-11シーズン、2014-15シーズンにも優勝、合計4回、欧州王座にチームを導いている。
■パリサンジェルマンとチャンピオンズリーグで4回対戦
バルセロナ時代にパリサンジェルマンとは4回(8試合)対戦している。いずれもチャンピオンズリーグでの顔合わせで、最初は2012-13シーズンの準々決勝、パリでの第1戦でメッシは先制点を奪う。終盤にズラタン・イブラヒモビッチのゴールでパリサンジェルマンが追いつき、89分にバルセロナがPKで勝ち越したが、アディショナルタイムのブレーズ・マツイディのゴールで2-2のドローとなる。バルセロナの第2戦は1-1のドローとなり、アウエーゴールの差でバルセロナが準決勝に進出する。
2回目の対戦は優勝を果たした2014-15シーズンの同じく準々決勝である。この時はパリでの第1戦は3-1、バルセロナでの第2戦は2-0とバルセロナが連勝している。メッシは2試合とも出場したが、主役はチームメイトとなるネイマールであった。パリで1点、バルセロナでは2点をあげている。ネイマールはこの後決勝までの全試合で得点をあげ、5試合連続ゴールを達成した。
3回目の対戦はパリサンジェルマンにとっては悪夢の対戦であった。2016-17シーズンの決勝トーナメント1回戦である。グループリーグを2位で通過したパリサンジェルマンが首位通過のバルセロナをパリに迎えた試合、メッシも出場し、ボールの保持率等は互角であったが、シュートの本数と精度に大きく差が付き、パリサンジェルマンが4-0と先勝する。バルセロナでの第2戦はバルセロナが追い上げる展開となり、50分にはメッシがPKを決めて3-0まで迫る。しかし、パリサンジェルマンもエディンソン・カバーニが1点を入れて試合終了間際までスコアは3-1、2試合通算スコアは3-5のままであった。ところが88分にネイマールが直接FKを決める。91分にはルイス・スアレスが倒されてPK、これをネイマールが決める。まだパリサンジェルマンがリードしていたが、95分にネイマールのアシストでセルジ・ロベルトが決勝点、メッシのバルセロナはまたパリサンジェルマンを下したのである。(続く)