第393回 今年最後の代表ゲーム (3) ポーランド、栄光の4大会連続出場
■36年ぶりに出場し、3位に輝いた1974年西ドイツ大会
前回の本連載では、ポーランドをフランス・サッカーの恩人として紹介したが、現在のポーランド・サッカーは完全にその面影はない。しかしそのポーランドも1970年代から1980年代にかけては東欧の優と言うべき成績を残している。1938年フランス大会に初出場して以来、1974年西ドイツ大会に36年ぶりに出場し、以降1986年メキシコ大会まで4大会連続して本大会に出場している。
1974年大会はフランツ・ベッケンバウアーの西ドイツとヨハン・クライフのオランダと言う決勝戦を争った2チームの大会としていまだに語り継がれているが、3位に入ったポーランドを忘れてはならない。1次リーグでは次の大会と次に次の大会で世界チャンピオンになるアルゼンチンとイタリアに勝ち、3戦全勝。そして2次リーグでは優勝した西ドイツには敗れたものの、スウェーデン、ユーゴスラビアを破り2位となる。2次リーグの2位チーム同士で争われた3位決定戦では前回大会優勝のブラジルを破っている。そして得点王に輝いたのは7得点をあげたグジェゴシュ・ラトーを忘れてはならない。
■疲労困憊のベストメンバーがスペイン大会で勝ち取った3位
ラトーは1978年大会、1982年大会にも出場し、1978年大会は2次リーグまで進出している。1982年大会は1次リーグでイタリア、カメルーンとスコアレスドローでスタートしたが、ペルー戦で5-1と大勝して1位で通過する。2次リーグでもベルギー、ソ連を押さえて1位になり、決勝トーナメントに進出する。準決勝ではズビデニュク・ボニエクを累積警告で欠き、優勝したイタリアのパオロ・ロッシの2ゴールの前に決勝進出を阻まれる。準決勝の2日後にアリカンテで行われた3位決定戦では西ドイツとの死闘に敗れたフランスと対戦する。フランスは準決勝でのショックも残っているフランスは大幅にメンバーを入れ替えた若手中心のメンバー。一方、ポーランドはラトーはもちろん、ボニエクも出場、ほぼベストメンバーで試合に臨んだ。フランスは序盤にルネ・ジラールが先制点をあげる。フレッシュなメンバーのフランスが疲労の残っているポーランドに勝つかと思われたが、ポーランドはお家芸の速攻をハーフタイムの前後に決めて、40分、44分、46分にゴールをあげて、鮮やかに逆転する。フランスも72分にアラン・クリオールが1点を返すが、1点及ばず、2度目の3位を狙う両チームの戦いはポーランドに軍配が上がったのである。
■ラトーの後を受け継いだボニエク
1986年メキシコ大会のエースはボニエクであった。グループリーグではモロッコと引き分け、ポルトガルに勝利、イングランドに敗戦と言う結果でグループリーグ3位にとどまる。しかしながら、この大会は本大会出場24チームのうち決勝トーナメントに16チームが進出する大会方式であったために、決勝トーナメントに進出する。決勝トーナメント1回戦の相手はグループDを3連勝で突破した、優勝候補のブラジル。ブラジルには0-4と大敗したが、4大会連続出場、4大会連続で1次リーグを突破し、2回も3位になったことは特筆すべきであろう。
■不本意な成績に終わった16年ぶりのワールドカップ
そのポーランドが16年ぶりに世界の檜舞台に姿を現した2002年ワールドカップであったが、グループリーグで韓国とポルトガルに連敗、ようやく最終戦で政治的な恩人であり、多くの同胞の住む米国に勝利したもののグループリーグ最下位で早々に敗退してしまった。欧州選手権にも長らく顔を見せていないグループリーグで早々に姿を消したことは不本意としかいえないであろう。
2004年欧州選手権は予選で姿を消してしまったが、2006年ワールドカップのドイツ大会に向けて、ポーランドは着々と準備を進めており、フランスとの親善試合は重要なテストなのである。(続く)