第418回 北欧の雄、スウェーデンと対戦(3) パパン、カントナ、デシャン、フラット4が誕生

■大苦戦となった1990年ワールドカップ予選

 チェコスロバキアと互角の戦績を残しながら、ホームでのスウェーデンとのドローが響いてイタリアでの欧州選手権を逃して10年、次のスウェーデンとの対戦は1989年8月16日の親善試合である。1980年代の2度のワールドカップでいずれもベスト4に入ったフランスであるが、1988年の欧州選手権予選では敗退してしまう。1988年秋に始まった1990年ワールドカップ・イタリア大会でフランスは大苦戦を強いられる。初戦のパリでのノルウェー戦こそ1-0で勝利したものの、アウエーとはいえキプロス戦でまさかの引き分けとなり、アンリ・ミッシェル監督が更迭される。そして後を受け継いだミッシェル・プラティニ新監督も強豪ユーゴスラビアとアウエーで戦い、2-3と敗れる。年が変わり、スコットランドとのアウエーゲームは0-2と敗れてついに負け越してしまう。そしてベテランを復帰させ、若手の抜擢して背水の陣で臨んだパリでのユーゴスラビア戦もスコアレスドロー、イタリア行きはほぼ絶望的になり、1989年の春が終わる。

■ノルウェー戦を控えてスウェーデンとマルモで親善試合

 おりしも革命200周年、新凱旋門でのサミットに沸く夏のフランスでサッカーファンだけが浮かない表情でバカンスを送っていた。フランス代表はシーズン初めの8月中旬に親善試合を行うことが恒例であり、この年の親善試合はスウェーデンとアウエーのマルモで対戦した。9月初めにオスロで同じ北欧勢のノルウェーとワールドカップ予選を戦うことから、この対戦相手と場所になったのであろう。しかし、イタリア行きの可能性はきわめて低く、フランス国民の誰もがこの試合には期待していなかったのである。
 しかし、誰も期待していなかった1980年代最後の親善試合はその後のフランス代表に大きな影響を与えることになった。試合展開は開始早々にスウェーデンが先制したまま前半が終了する。後半に入ってフランスがエリック・カントナのゴールで追いつく。そして、もう1人のFWであるジャン・ピエール・パパンがすかさず逆転ゴール。一旦はスウェーデンに同点ゴールを許すが、83分にパパンがカントナからのセンタリングを叩き込んで逆転、87分にはカントナがゴールを決めて4-2とフランスは快勝したのである。実にフランスにとって前年9月のノルウェー戦以来ほぼ1年ぶりの勝利となったのである。

■フランス史上最強の2トップ、パパン-カントナ

 そして、この試合がエポックメーキングとなったのはその結果だけではない。2得点をあげて勝利に貢献したカントナはこれが代表6試合目であった。1987年夏のドイツ戦で代表にデビューしたカントナは前年3月以来の代表復帰となったのである。すなわち、ワールドカップ予選が開幕してからは代表のユニフォームを着ておらず、ほぼ1年半ぶりの代表復帰で大活躍をしたのである。そして注目すべきはカントナと2トップを組んだパパンも2得点をあげたことである。1990年代前半に欧州を席巻したパパン-カントナのコンビは、フランスのサッカー史上最強の2トップでもあることに間違いはない。パパンとカントナがコンビを組んだのはこの試合が3試合目、しかし、2人揃ってゴールを決めたのはこの試合が最初だったのである。パパン-カントナのフランス史上最強の2トップがこのマルモの地で生まれたのである。

■代表初先発のデシャンが大活躍

 そしてこの試合で生まれたのはパパン-カントナの2トップだけではない。守備的MFとして代表初先発となったディディエ・デシャンが八面六臂の大活躍をし、中盤の将軍という称号が早くも与えられる。パパン-カントナの2トップはその後1990年代の半ばまでフランス代表を支えたが、デシャンは2000年の欧州選手権までフランス代表を守備的MFとしてだけではなく主将として支えることになる。
 さらに忘れてはならないのは、この試合がパパン、カントナ、デシャンと言うプレーヤーが誕生したことだけではない。この試合でプラティニ監督は4人のDFをフラットに並べる。従来は4バックの場合でもスイーパーを配置していたが、この試合を契機にフランス代表のDFラインはフラット4となり、現在でも代表だけではなくほとんどのクラブチームがこの方式を採用している。
 このように1980年代最後の親善試合となったスウェーデン戦は続く1990年代に多くのものをもたらしたのである。(続く)

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