第419回 北欧の雄、スウェーデンと対戦(4) 1990年代前半の鬼門となったスウェーデン

■スウェーデン戦で立ち直ったフランス

 前回紹介した1989年夏のマルモでの親善試合のスウェーデン戦でフランス代表は息を吹き返す。イタリアワールドカップ予選はそれまでのもたつきが響いて突破することはできなかったが、その次の1992年欧州選手権スウェーデン大会予選では破竹の勢いで、8戦全勝で予選を突破する。この予選期間中に行われた親善試合でも負け知らず、1988年欧州選手権、1990年ワールドカップと2大会連続で予選落ちした屈辱を晴らすべく、スウェーデン入りする。当時の欧州選手権の本大会は8か国しか出場できず、予選突破だけでも今とは格段に難しかったが、1990年ワールドカップでも活躍したチェコスロバキアとスペインもいるグループで全勝したフランスが優勝候補となったのは当然の評価であろう。

■伏兵デンマークに敗れた欧州選手権スウェーデン大会

 そのフランスはグループAで開催国スウェーデン、大会前の親善試合で連勝をストップさせられたイングランド、大会直前にユーゴスラビアへの制裁により代替出場となったデンマークという順に対戦することになった。スウェーデンで開催される主要国際大会は1958年のワールドカップ以来である。34年前には実現しなかったフランスとスウェーデンの対戦は大会開幕戦となり、満を持してフランスのイレブンはソルナでの戦いに臨む。しかし、24分にスウェーデンのジャン・エリクソンが先制点を決める。同点に追いつきたいフランスは後半に入る段階でメンバーを交代させる。クリスチャン・ペレスをゲームメーカーとして投入、前半は下がり目のFWだったエリック・カントナがトップに上がり、ジャン・ピエール・パパンと2トップを組む。ペレスのパスを受けたパパンが59分に同点ゴール、フランスは初戦で開催国と引き分け、続く第2戦の強敵イングランド戦は守備を重視した布陣で臨み、スコアレスドローで乗り切る。
 第3戦の相手デンマークは大会直前に出場が決まり、スウェーデン入りしてからノーゴール。戦前、誰しもがフランスの勝利とグループリーグ突破を予想した。ところがこの試合、デンマークが先制点をあげる。後半に入ってパパンのゴールによってフランスは追いつくものの、78分に勝ち越し点を奪われる。この試合が代表82試合目で当時の最多代表記録を更新した主将のマニュエル・アモロスにとっては笑顔なき新記録となり、優勝候補のフランスは勝ち星をあげることができず北欧の地を去ったのである。

■スウェーデンと1勝1分、ほぼ手中にした米国行きのチケット

 その欧州選手権でのまさかの敗退の次にまた「まさか」が待っていた。1994年のワールドカップ米国大会に向けて予選がその年の9月に始まる。フランスは予選のグループで上位2チームが米国行きのチケットをつかむこの予選でスウェーデン、ブルガリア、オーストリア、フィンランド、イスラエルと同じグループに入り、スウェーデンがフランスにつぐ2番手と目された。フランスは予選初戦のアウエーのブルガリア戦にこそ敗れたが、その後は3連勝し、1993年4月にパルク・デ・プランスに最大のライバルであるスウェーデンを迎える。フランスはエースのパパンを負傷で欠くが、もう一人の主役のカントナが2ゴール、最大の難敵を下して予選を首位で折り返し、米国行きに近づいたのである。予選の後半戦最初の試合はアウエーでのスウェーデン戦。8月22日に行われたこの試合でフランスは76分にフランク・ソーゼーが先制、終了3分前にマルティン・ダーリンの同点ゴールを浴びるが、首位のフランスにとってアウエーでの引き分けは勝利に等しい。
 フランスは9月に入ってアウエーのフィンランド戦も2-0と完勝、残り2試合のホームゲームで勝ち点1を獲得すれば世界の檜舞台への復帰が決まるのであった。新大陸でのワールドカップをほぼ手中にしたわけだが、その後のイスラエル戦、ブルガリア戦の結果についてはここであえて記す必要はなかろう。

■スウェーデンと互角以上の成績を残しながら3たび予選敗退

 フランスとスウェーデンは前々回の本連載で紹介したとおり、それまでに1970年ワールドカップ、1980年欧州選手権で同じグループになり、フランスはスウェーデンに対して互角以上の成績を残しながらも本大会出場を逃してきた。そして歴史は繰り返したのである。(続く)

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