第421回 フランスに戻ってきた監督たち(1) コートジボワール代表監督アンリ・ミッシェル

■ハンドボール、ラグビー人気の影に隠れたサッカー

 北欧の雄、スウェーデンを招いて今年初のフランス代表の試合となった親善試合、またもやフランスはホームで勝利をあげることができなかった。ちょうど1月下旬から男子ハンドボール世界選手権がチュニジアで行われ、フランスは3位に入る。また、ラグビーの6か国対抗も開幕し、フランスはスコットランドに勝利したばかりではなくイングランド戦では8年ぶりに敵地で勝利をあげる好調なスタート。ホームで勝ち星を逃したサッカーのフランス代表は完全に脇役に追いやられてしまった。

■アフリカの6つの代表チームがフランスに集結

 しかし、フランス代表だけが代表チームではない。フランス-スウェーデン戦以外にフランス国内で他に代表のゲームが3試合行われたのである。 2月9日はインターナショナルマッチデーであるが、その前後の日にも試合が行われている。フランス国内では火曜日にルーアンでコートジボワール-コンゴ民主共和国戦、9日にはサンドニのオーギュスト・デローヌ競技場でギニア-マリ戦とクレテイユでカメルーン-セネガル戦が行われた。つまり、フランス-スウェーデン戦とあわせると8つの代表チームがフランス国内で試合を行い、さながらミニワールドカップの様相を呈したのである。
 この連載でも紹介してきたとおり、アフリカの選手が数多くフランスリーグで活躍しているが、アフリカのチームのうち、コートジボワール、コンゴ民主共和国、セネガル、ギニアの4チームは監督もフランス人である。さらにその顔ぶれがすごい。コートジボワールはアンリ・ミッシェル、コンゴ民主共和国はクロード・ルロワ、セネガルはギ・ステファン、ギニアはパトリス・ヌブーである。またカメルーンはポルトガル人であり、パリサンジェルマンなどの監督を務めたアルツール・ジョルジュ、マリはマリの伝説的スーパースターのママドゥ・ケイタである。この名前を見ただけでさすがのフランス代表監督のレイモン・ドメネク監督も気後れしてしまうであろう。

■フランス代表監督を予選期間中に解任されたアンリ・ミッシェル

 この中で最もビッグネームはフランス代表監督の経歴もあるアンリ・ミッシェルである。ミッシェル・プラティニが出現するまでのフランスの中盤を支え、代表歴58試合を誇る。引退後はオリンピック代表監督としてロサンジェルスオリンピックで優勝し、1984年にフランス代表監督に就任する。メキシコのワールドカップでは3位になるが、1988年の欧州選手権予選で敗退、捲土重来を期して1990年のワールドカップ予選に臨むが、国民的英雄であるミッシェルはその栄光を全て失ってしまう。初戦のホームでのノルウェー戦は1-0と辛勝、第2戦のアウエーのキプロス戦でまさかのドロー、これで解任されてしまう。フランスで予選期間中に代表監督が交代したのは1974年のワールドカップ西ドイツ大会予選中に辞したジョルジュ・ブーローニュ以来のことであり、極めて異例のことである。

■代表監督を歴任、ワールドカップに2度出場

 1988年に代表監督の座を失った後、1990年にパリサンジェルマンの監督を1年間務めるが、その後はフランス国内に戻ってくることはなかった。サウジアラビア、カメルーン、モロッコ、アラブ首長国連邦、チュニジアの代表監督を務める。1994年ワールドカップ米国大会ではカメルーン代表監督として1分2敗の成績でグループリーグで敗退する。そして1998年フランス大会ではモロッコ代表監督としてノルウェーと引き分けてスタート、第2戦は前回大会優勝のブラジルとナントで戦う。16年間のプロ生活をナントで終始したミッシェルにとって故郷に錦を飾りたかったが、0-3で完敗。最終戦のスコットランド戦で勝利したが、グループリーグで敗退する。続く2002年大会もチュニジア代表監督として日本に行くはずであったが、大会前に解任され、3大会連続出場はならなかった。
 チュニジア代表監督を解任された後はモロッコのラジャ・カサブランカの監督になるが、クラブの監督経験はパリサンジェルマンとこの時だけであり、それ以外は常に代表チームの監督を務めてきた。そのミッシェルが2004年のアフリカ選手権終了後にコートジボワール代表監督となり、来年のアフリカ選手権とワールドカップを目指すことになったのである。(続く)

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