第422回 フランスに戻ってきた監督たち(2) クロード・ルロワとパトリス・ヌブー
■アンリ・ミッシェル就任後の親善試合をフランスで行うコートジボワール
前回の本連載ではコートジボワール代表監督のアンリ・ミッシェルを紹介したが、コートジボワールは2月8日にルーアンでコンゴ民主共和国と戦った。昨年春にミッシェルが代表監督に就任して以来、コートジボワールは親善試合を1回だけ8月に行っているが、その試合会場もフランス国内のアビニョンであった。対戦相手はワールドカップでフランスを破ったセネガル、当然セネガルも選手のほとんどはフランスリーグに所属しているが、このセネガルにコートジボワールは2-1と競り勝つ。アビニョンはミッシェルの出身地のエクス・アン・プロバンスに近く、ミッシェルは故郷に錦を飾ったのである。
■アフリカで成果を残したクロード・ルロワ
さて、今回の対戦相手のコンゴ民主共和国も選手の多くがフランスリーグに所属している。特にモナコのシャバニ・ノンダは本連載で何回か紹介したエースストライカーである。そしてこのチームを率いるのがクロード・ルロワである。1984年にアフリカに渡り、1988年までカメルーン代表監督を務めアフリカ選手権で優勝を果たしている。その後はセネガル代表監督も務めており、カメルーンもセネガルもルロワの指導後にワールドカップですばらしい成績を残すにいたった。フランス国内ではストラスブールの監督も務めたことはあるが、再びアフリカに戻り、コンゴ民主共和国の監督となり、昨年夏には来年のアフリカ選手権とワールドカップを目指すために契約を更新したばかりである。そのルロワもフランス国内では満足な成績を残すことができなかったが、今回の試合では負けられない理由がある。それはかつてルロワがルーアンの選手であったからである。そのようなこともあり、1万人の観衆が集まった。試合はエースのディディエ・ドログバを負傷で欠くものの地力に勝るコートジボワールが試合を支配し、先制する。
対する今後民主共和国は前半終了間際に追いつく。そして後半に入り終了3分前、コートジボワールがPKを得る。キッカーはオセールのボナバンチュール・カルー、代表チームの試合のために週末のフランスカップのベスト16決定戦の遠征を辞退している。カルーが慎重に決めてミッシェルに勝利がプレゼントされるかに見えたが、90分に今度はコノゴ民主共和国にPKが与えられた。これをノンダが決めて試合は2-2の引き分けで終わったのである。
■サンテエチエンヌで活躍したサリフ・ケイタ
その翌日には世界各地でワールドカップ予選や親善試合など多くの国際試合行われた。5万人以上を集めたスタッド・ド・フランスのあるサンドニにはオーギュスト・デローヌ競技場が1962年に開設されている。その古いながらも市民に親しまれている競技場がギニアとマリの代表チームを迎えた。マリは本連載大29回で紹介した伝説の黒豹サリフ・ケイタが監督を務め、フランスリーグからはサリフ・ケイタの息子であるセイドゥ・ケイタ(ランス)、モハマドゥ・ディアラ(リヨン)などを擁する。
■フィリップ・トルシエの朋友パトリス・ヌブー
一方のギニアはかつてサリフ・ケイタが活躍した名門サンテエチエンヌに所属するパスカル・フェインデゥーノ、モンペリエのフォデ・マンサレなどがフランスリーグの選手である。そして監督のパトリス・ヌブーはフランス国内での知名度は低いが、日本の皆様ならばよくご存知であろう。日本代表監督を務めたフィリップ・トルシエと選手時代にアングロームで同僚であり、このトルシエとの邂逅がヌブーの人生を決めた。トルシエとであったことにより引退後の活動はアジア、アフリカが中心となる。フランス国内ではアマチュアチームの監督が中心で、1999年にアングロームを率いてフランスカップで準々決勝に進出したくらいが主たる成績である。トルシエに遅れること10年、1999年にアフリカに渡り、ニジェールの監督に就任し、アジア、アフリカでの生活が始まった。注目すべきは代表監督だけではなくチュニジアと中国で2部のチームの監督となり1部へ必ず昇格させたことである。2003年に行われたA3マツダチャンピオンズカップで中国のチャンピオンとして大連実徳が出場したが、大連実徳を中国の2部リーグから1部へ昇格させ、そしてチャンピオンへと導いたのがヌブーだったのである。(続く)