第443回 6月初めの中国遠征のキャンセル

■オリンピック誘致のためにスタンド名を改称

 本連載ではこれまで紹介してこなかったが、フランス・サッカー界の聖地ともいえるスタッド・ド・フランスの名称がスタッド・ド・フランス-パリ2012と変更されている。読者の皆様もよくご存知の通り、パリ市は2012年の夏季オリンピックの開催都市に立候補しており、その開催地の決定を控え、メインスタジアムとなるスタッド・ド・フランスにパリ2012という開催年を早々と冠し、北京に敗れた2008年開催の雪辱を果たそうとしている。オリンピックの招致合戦は外交そのものである。ITER(国際核融合実験炉)のカダラッシュへの誘致でフランスが最も便りとするのが中国であり、2008年のオリンピックでは敵となった中国は2012年のオリンピックをめぐっては最大の友人である。

■フランスでの勤工倹学を経験した中国のリーダー

 古来、中国とフランスの交流は長い。第一次世界大戦後にフランスは労働力不足に悩まされた。この際にイタリアや東欧からのみならず、中国からも多くの労働力を引き受けた。イタリアや東欧からの移民がその後のフランスのサッカーに大きな影響を与えたことは本連載でも何回か紹介した。
 しかし、中国からの移民は彼らとは全く違う人生を送った。彼らは勤工倹学と言われ、文字通り働きながら学ぶためにフランスに渡ったのである。1919年の五四運動以降の1920年代に、多くの中国人の青年がフランスに渡り、働きながら学んだ。彼らはフランスで共産党に入党し、フランス人労働者とともに、労働運動に参加した。彼らの労働条件は過酷なものであったが、その中から周恩来、鄧小平のように革命を推進した中国共産党の主要人物の多くが育ち、1949年の中華人民共和国の建国を支えたのである。1911年の辛亥革命を支えた孫文などが日本留学組であったのに対し、勤工倹学生となったフランス留学組が建国以降の中国のリーダーとなり、今日に至っているのであり、フランスの対アジア戦略は中国を中心として回っており、中国の欧州政策はまずフランスに照準が合わされるのである。

■オリンピック開催都市決定の前に北京での親善試合

 そのフランスと中国であるが、男子サッカーのフル代表の対戦は今までなかった。今年は奇数年であるからオフシーズンにワールドカップも欧州選手権もなく、昨年の欧州選手権で敗退したことからコンフェデレーションズカップにも出場しない。そして7月初めのオリンピックの開催都市決定を控え、6月2日に北京で中国との親善試合を行うと言うアイデアが3月に浮上した。来年のワールドカップ予選を考えれば、他に対戦すべき相手はいくらでもある。また相手の中国はすでにアジア地区のワールドカップ予選では敗退しており、レベルだけではなくモチベーションにも差がありすぎる。そのような競技面はさておき、外交関係の影響を受けて親善試合の相手が決まってしまうのがフランスという国である。

■中国での親善試合がキャンセル、メッスで初の代表戦

 ところが、4月中旬、この中国遠征はキャンセルされてしまった。金銭的にこの遠征が厳しいという理由でキャンセルされたが、空席の目立つホームゲームを続けている以上、金銭的な問題は不可避である。フランスは早速中国遠征に代わる親善試合を5月31日にメッスでハンガリー戦を行うことを決定した。メッスでフランス代表が試合を行うのは史上初めてのことである。翌年まで日程が通常決まっているフランスの代表の試合において、3か月前に試合の構想が生まれ、2月前にキャンセルされるというのはきわめて異例なことであり、中国と言う国がそれだけフランスにとって特別な国であることを象徴している。
 一方、世界いたるところで活躍しているのが中国人であり、欧州にも大都市には中華街がある。ロンドン、パリが有名であるが、リバプール、マルセイユと言った港町には日本の神戸や横浜と同様に多くの中国人が居住する。残念なことにこれらの欧州の中国人社会でも反日活動が顕在化している。多くの中国人住民のいるマルセイユにおいて、日本人選手である中田浩二に影響が及ばないことを祈るばかりである。(この項、終わり)

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