第3355回 パリサンジェルマン、ホーム第1戦でバルセロナに敗れる(3) バルセロナの選手、監督として欧州を制したルイス・エンリケ
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■バルセロナ戦を前に負傷者が戻ってきたパリサンジェルマン
バルセロナ(スペイン)とのチャンピオンズリーグ準々決勝を過密スケジュールの中で戦うパリサンジェルマン、バルセロナとの第1戦の1週間前にはフランスカップ準々決勝のレンヌ戦、4日前の日にはリーグ戦をパルク・デ・プランスで戦った。このリーグ戦の相手は最下位のクレルモン、パリサンジェルマンはレンヌ戦とは先発メンバー11人全員を入れ替え、前半に先制され、後半に追いつき、キリアン・ムバッペなどの主力を投入しながら勝ち越すことができず、引き分けに終わった。
この選手起用、さらにはその結果については国内でも議論となった。ただ、このような選手起用ができるのはパリサンジェルマンの豊富な資金力がベースになっていることは間違いない事実であるが、負傷による離脱者がプレスネル・キンペンベくらいで、試合に出場できる選手が多いことを意味している。3月下旬に22歳以下のフランス代表の活動の中で負傷したブラッドリー・バルコラ、レンヌ戦で負傷したウォーレン・ザイール・エメリも戻ってきた。
■クラブ最多タイの435試合に出場したマルキーニョス
そしてクレルモン戦では後半の途中から出場したマルキーニョスはパリサンジェルマンで435試合目の出場となり、ジャン・マルク・ピロルジェの記録に並んだ。バルセロナ戦で記録を更新することになるであろう。マルキーニョスは2013年にローマ(イタリア)からパリサンジェルマンに移籍し、今季で11シーズン目となる。パリサンジェルマンにカタール資本になって初期に獲得した選手であるが、当時はまだブラジル代表に入る前の選手であった。相場以上の移籍金で若手選手の獲得も積極的に行ってきたパリサンジェルマンであるが、マルキーニョスの場合は成功例であろう。
■バルセロナの選手としてパリサンジェルマンに勝てなかったウスマン・デンベレ
前々回の本連載でバルセロナからパリサンジェルマンに移籍した選手、スタッフを紹介したが、現在は監督のルイス・エンリケとFWのウスマン・デンベレの2人である。デンベレは前回の対戦となる2020-21シーズンのチャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦ではバルセロナの選手として出場し、バルセロナでの第1戦はリオネル・メッシ、アントワン・グリエズマンとともにFWとして出場したが、無得点でチームは1-4で敗れる。パリでの第2戦も同じFW陣で臨んだバルセロナであったが、デンベレはゴールをあげることなく、試合も1-1の引き分けに終わり、バルセロナは敗退している。この時のバルセロナの監督はロナルド・クーマンであり、2017年に大逆転をしたルイス・エンリケはスペイン代表監督となっていた。
■ルイス・エンリケのパリサンジェルマン戦の歴史
そのルイス・エンリケも現役時代にパリサンジェルマンと対戦したことがある。最初は1992-93シーズンのUEFAカップ準々決勝、今でもパリサンジェルマンのファンの中で語り継がれる試合である。パリサンジェルマンは創立20年以上たってようやく欧州カップで勝ち進み、スペインのレアル・マドリッドと対戦する。この時、レアル・マドリッドに所属していたのがルイス・エンリケであった。マドリッドでの第1戦はレアル・マドリッドが3-1と勝利し、パリでの第2戦も2試合通算得点ではリードをキープしていたが、終盤に双方が得点を取り合い、パリサンジェルマンが4-1と勝利した。パリでの第2戦ではルイス・エンリケが後半途中でベンチに退いた後、両チームが得点を奪い合った。ルイス・エンリケが最後までピッチに立っていれば、試合の展開と結果は異なっていたかもしれない。
その翌シーズンも両チームは欧州三大カップの準々決勝で対戦する。この時はマドリッドでの第1戦でパリサンジェルマンが勝利、パリでの第2戦は引き分け、2年連続でルイス・エンリケの所属するレアル・マドリッドは敗れている。
ルイス・エンリケがパリサンジェルマンにようやく勝ったのはバルセロナに移籍した初年の1996-97シーズンのカップウィナーズカップ決勝である。ロッテルダムでの試合でバルセロナはロナウドのPKで1-0と勝利した。これがルイス・エンリケにとって初めての欧州でのタイトルとなった。監督としてバルセロナでも欧州の頂点に立ったルイス・エンリケはパリサンジェルマンを欧州のトップに導けるであろうか。(続く)