第489回 ワールドカップへ向けて2つの親善試合(3) コスタリカに逆転勝利

■初対戦となるコスタリカ

 非常事態宣言で揺れる中、フランス代表は本土を離れ、世界ランキング20位というコスタリカと対戦した。コスタリカとは初対戦であり、フランスにとって74番目の対戦国となる。北中米カリブ地域の国との対戦はこれまでメキシコ(5回)、米国(2回)、カナダ(1回)、中央アメリカ(1回)あり、これが10回目の対戦となる。
  コスタリカと言うと日本のファンの皆様はピエール・イブ・カルパンティエがこよなく愛したボルカン・アスールを連想される方が少なくないであろう。ボルカン・アスールを愛したカルパンティエも日本を去り、その後継者であるジャン・シャルル・クルーアンは足を負傷し、杖を頼りにする日々である。クルーアンの痛々しい姿を見るたびに、日本の皆様はボルカンでのカルパンティエの勇姿を思い出すであろう。そのカルパンティエも暴動と隣り合わせの毎日を送っている。

■本大会出場に導いた名将アレクサンドラ・ギマラエス監督

 コスタリカは2月9日のワールドカップ最終予選の初戦では常連国のメキシコをホームに迎えながら敗戦、以後ももたつきが目立ち、8月までの成績は2勝1分3敗であった。ところが残り4試合となった9月以降に変身する。最下位のパナマにアウエーで勝利、ライバルのトリニダード・トバコをホームで下し、すでに本大会出場を決めているアメリカをホームに迎えて3-0と完勝する。この3連勝でワールドカップ出場を決める。最終予選では6チーム中3チームに出場権(4位はアジア地区のチームとのプレーオフ)ができることから、ワールドカップ予選トータルの成績は5勝1分4敗と振るわなかったものの、1990年、2002年に続く3回目の出場となった。
  このチームを率いるのは名将アレクサンドラ・ギマラエス監督、ブラジル生まれであるが、コスタリカに移り住み、少年時代にコスタリカ国籍を取得する。学生時代にはバスケットボールの選手としても活躍し、コスタリカの名門サッカーチームで今回の世界クラブ選手権で訪日するサプリサに所属する。1990年のワールドカップに出場し、念願の祖国ブラジルとの対戦が実現、2002年のワールドカップでは今度は監督としてブラジルと対戦している。バスケットボールの戦術をサッカーに応用し、パス回しと組織的な守備が特徴のチーム作りをしている。

■航空機事故の犠牲者を悼み、白いユニフォームを着用したフランス

 暴動の続くフランスから8時間のフライトでマルティニックに渡航したフランス代表、大黒柱のジネディーヌ・ジダンだけではなくダビッド・トレゼゲも負傷のためにメンバーから離脱する。コスタリカ戦は8月に起きた航空機事故の犠牲者を悼む慈善試合でもあることから、フランス代表は白いユニフォームを着用した。この白いユニフォームに身を包んでラ・マルセイエーズを歌ったイレブンはGKに久々の出場となるファビアン・バルテス、DFはエリック・アビダル、ウィリアム・ギャラス、リリアン・テュラム、ガエル・ジベ、MFにはビカッシュ・ドラッソー、フローラン・マルーダ、シルバン・ビルトール、アルー・ディアラ、そしてFWにはニコラ・アネルカとティエリー・アンリという布陣である。

■前半の2失点をはね返し、逆転勝利

 1万6000人の観衆の集まる中でキックオフ。ところが、半年以上ブランクのあったバルテスが本来の力を出せず、14分と41分に失点を許してしまう。フランス代表が2失点するのは昨年の欧州選手権のクロアチア戦以来のことであり、レイモン・ドメネク監督体制では初めてのことである。
  後半に入ってフランスは奮起する。49分にアンリからのパスをオフサイドライン上で受けたアネルカが得点を決めて1点差になる。両チーム積極的に選手交代を行い、フランスはシドニー・ゴブー、ジェローム・ロタン、ジブリル・シセを投入する。80分にはシセが同点ゴールを奪い、88分にはアンリが勝ち越しゴールを決める。フランスは前半の2点のビハインドをはね返し、逆転で海外県・海外領土で初めての試合を勝利で飾ることができたのである。(続く)

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