第550回 2005-06フランスカップ(4) パリサンジェルマン、宿敵倒し7回目の栄冠

■警備責任者のニコラ・サルコジ内務大臣の思惑

 前回の本連載で紹介したようにフランスカップ決勝がパリサンジェルマンとマルセイユという顔合わせになり、フランスのサッカー界は思いもかけぬ盛り上がりを見せた。
 盛り上がりと言っても過度の盛り上がりは常に問題と隣り合わせである。最大の問題がセキュリティである。試合会場のあるサンドニは決して治安のいい地域とはいえない。スタッド・ド・フランスでの試合のために警察当局は2300人を超える警察官を警備のためにスタッド・ド・フランスの周辺に配備した。火曜日には本連載でもしばしば紹介しているニコラ・サルコジ内務大臣は両チームのトップであるパリサンジェルマンのピエール・バラヨー会長とマルセイユのパパ・ディウフ会長、さらにはジャン・フランソワ・ラムール青少年・スポーツ大臣を交えて会談し、当日の警備を保証する。大統領選挙を控えてサルコジもまだあきらめていないようである。さらに現在の大統領であるジャック・シラクがパリを地盤としていることから、保守政権にとってパリ近郊での失態は許されない。ちょうどこの日の朝、マルセイユではチケットの販売が開始され、早速トラブルが起こっており、保守王国パリがポイントを稼いだ。

■試合前から小競り合い

 試合当日は周囲も異様な雰囲気に包まれる。この日はマルセイユがホームチーム扱いとなり、マルセイユのファンは北側、パリサンジェルマンのファンは南側に陣取る。マルセイユのファンクラブはヤンキース、ウィナーズなど、そしてパリサンジェルマンのファンクラブは日本にも支部があるブローニュボーイズなどが中心であるが、試合前からスタジアムの内外で小競り合いが続き、キックオフを待たずして2人が負傷、30人あまりが逮捕される。警備責任者であるサルコジ内務大臣もキックオフ1時間前に到着、シラク大統領に暴力事件はマルセイユ側だけではなくパリ側でも起こっていると報告、パリを地盤とする現在の大統領に次期大統領候補が牽制球を投じる。

■大観衆の中でパリサンジェルマンが完勝

 そのシラク大統領来臨の中、ラ・マルセイエーズの演奏に引き続いて伝統のフランスカップ決勝がキックオフされる。観衆は前週のリーグカップ決勝を上回る79,061人である。ラグビーの試合には及ばないがサッカーでは今季一番の観客動員である。いずれのチームもリーグ戦では優勝争いからはずれ、このフランスカップが来季の欧州行きの最後のチケットになる可能性も少なくはない。
 前回までの本連載でも紹介したが、過去87回行われた決勝の進出回数と優勝回数はマルセイユが16回進出で10回優勝、パリサンジェルマンは8回進出で6回優勝という成績を残しており、マルセイユとパリサンジェルマンがフランスカップで対戦したのはこれまでに7回(1988-89シーズンまでは決勝以外はホームアンドアウエー方式のため、実際は9戦している)戦い、マルセイユは1990-91シーズンに勝っただけで、残りの6回はパリサンジェルマンに道を譲っている。
 過去のデータからはパリサンジェルマン有利であるが、そのとおりの試合展開となった。まず開始5分にパリサンジェルマンのコートジボワール代表ボナバンチュール・カルーが先制点、本連載の熱心な読者の方ならばよくご記憶と思われるが、昨年のフランスカップ決勝ではオセールの一員としてゴールを決めたあの選手である。実はチームが変わってフランスカップを連覇したのはあのロジェ・ミラ以来のことである。そして後半に入ってビカッシュ・ドラッソーが追加点、試合はパリサンジェルマンのワンサイドとなる。パリサンジェルマンの猛攻の前になすすべもないマルセイユであるが、ようやく67分にトワフィルー・マウリダが一矢を報いて1点返す。結局パリサンジェルマンが逃げ切り、2年ぶり7回目のフランスカップの勝者となる。マルセイユはまたタイトルを獲得することができず、13シーズン無冠である。

■沈滞気味のフランスのクラブシーンが大変化

 この日のテレビの視聴者は1070万人、視聴率では48.2%、フランスカップ史上3番目の数字となった。1位は2000年のカレーの快進撃、2位は前回マルセイユが決勝に進出した1991年である。試合の結果はさておき、リーグ戦ではリヨンの独壇場、欧州カップでは他国のビッグクラブに勝てないという状態が続いており、この夢のカードは近年のフランスのクラブシーンの沈滞したムードを払拭したのである。(この項、終わり)

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