第648回 パルク・デ・プランスで死亡事件(3) 人種差別が原因、フランス・サッカーの危機
■パリサンジェルマンのサポーターから暴行を受け、発砲した警官
試合終了後、パリサンジェルマンのサポーターに取り囲まれたハポエル・テルアビブのファンを救うために交通整理の仕事から駆けつけた警官であったが、多勢に無勢である。逆に警官はパリサンジェルマンのサポーター集団に取り囲まれ、身の危険を感じ逃げ回ることとなる。警官が逃げ込んだのはポルト・ド・サンクルー広場にあるマクドナルドである。他に逃げ込むカフェなどはいくつかあったが、アメリカ資本のファーストフードショップに逃げ込んだところが、この警官がこの問題の本質を察知していたことを表している。パリサンジェルマンのサポーターはマクドナルドに立てこもった警官に対し、過剰な攻撃を加える。そしてそれに対して警官はまず催眠ガスを発砲するがそれでは収まらず、実弾を発砲する。その結果、パリサンジェルマンのサポーター1人が死亡し、1人が負傷するにいたったのである。
■肌の色が違う警官に対し、人種主義的な言動
さて、ここでなぜパリサンジェルマンのサポーターが警官に対して過剰な攻撃をしたかであるが、この32歳の警官はカリブ海の海外県・海外領土であるアンティーユ諸島の出身であった。アンティーユ諸島出身のサッカー選手といえば、ティエリー・アンリであり、ニコラ・アネルカであり、多くの優秀な選手を輩出している。しかし、彼らは肌の色でフランス本土以外の出身であることが明白であり、この警官も同様である。
ハポエル・テルアビブのファンもフランス人でありながらユダヤ人であったため、パリサンジェルマンのサポーター集団は人種差別的な暴言を繰り返した。この警官も同様に本土以外からの出身者であることが明白であったために、パリサンジェルマンのサポーター集団は人種差別的な言動を繰り返し、暴行を加えるにいたったのである。
■悲劇の原因は民族、人種の違いからくる人種差別
事件の被害者であるパリサンジェルマンの2人のサポーター、加害者である警官、そしてこの問題にきっかけとなったハポエル・テルアビブのファン、3者ともフランスに住むフランス人でありながら、民族の違い、肌の色の違いから来る人種差別がこの問題を引き起こした。
警官の催眠ガスならびに実弾の発砲は正当防衛であるという当局側の見解であるが、事件の本質はフランス社会に横たわる人種差別が原因であろう。パリサンジェルマンのサポーター集団は試合終了後、イスラエルから来た遠来のハポエル・テルアビブのサポーター、恐らくはこの事件の当事者となったパリ在住のファンよりははるかに過激であろうサポーターと問題を起こしたであろうか。そして警官がフランス本土の出身者であれば、逆に警官を襲撃するという行為に出たであろうか。このような問いかけをすれば読者の皆様もよくお分かりと思うが、「フランス国内に在住する異民族」が相手であったからこそ、パリサンジェルマンのサポーターの人種差別的な言動につながり、悲劇を生んだのである。
■変質したフランスのゴール裏、フランス・サッカーの危機
筆者は8年前、サッカークリックのフランス・サッカー実存主義の連載第5回で「フランス代表選手の「パリ症候群」」というタイトルでパリのサポーター気質について紹介した。その際、フランスのサポーター集団は政治的な背景を持っておらず、不満をフィールドの選手や警備の警官にぶつけている、と述べたが、近年その状況は大きく変化した。ゴール裏のサポーター集団は政治的な背景を持つようになった。他の欧州諸国のサッカー場と同様に移民排斥を唱える極右勢力の集団となってしまったのである。
パルク・デ・プランスで最初にサポーターが傷害事件を起こしたのは1991年10月5日のフランスリーグのパリサンジェルマン-トゥールーズ戦のことである。すでに1980年代にはイングランドのサッカー場で問題が起こっていたことから考えればかなり遅い上陸である。しかもその時は警察権力に対する若者の反抗と言う図式で極右勢力とは無関係であった。その後も相手チームサポーターあるいは警官との衝突はあったものの、移民排斥の極右勢力はサッカー場には乗り込んでこず、逆に極右勢力はサッカーそのものを敵視していた。それがいつの間にか、他国同様、サッカー場は極右勢力のプロパガンダの場となったのである。
最後に読者の皆様に訴えたい。これはフランス・サッカーの危機である。(この項、終わり)