第697回 リトアニア、オーストリアと連戦(3) 低迷から脱出狙うリトアニア
■3位に入った1996年欧州選手権と1998年ワールドカップの予選
1990年に独立して再スタートを切ったリトアニアのサッカー、最初の挑戦となる1994年ワールドカップ米国大会予選では7チーム中5位という成績でバルト三国の中では最もよい結果となった。次の挑戦は欧州選手権の1996年大会の予選である。イングランドを目指し、ソビエトから独立した共和国、東欧の自由化に伴って新たに独立した国などが本格的に欧州予選に参加し、欧州予選の出場国は47チームになり、8つのグループに分かれてサッカーの母国を目指すことになった。リトアニアの入ったグループ4はクロアチア、イタリア、ウクライナ、スロベニア、エストニアというメンバーで、イタリア以外の5か国は1980年代には存在しなかったという欧州の新時代を反映するグループとなった。このグループからはクロアチア、イタリアが本大会に出場し、リトアニアは強豪チームの中で堂々の3位に入る。後に本大会に出場することになるウクライナ、スロベニアを上回る成績であった。
そして本大会出場国数が増えた1998年のワールドカップも惜しいところまで行った。リトアニアはルーマニア、アイルランドに次いで、この予選もグループ3位にとどまった。しかし、5勝2分3敗で2位のアイルランドに勝ち点が1及ばなかっただけというリトアニアの成績は胸を張ることができるだろう。
■流れが変わった2000年欧州選手権予選
このように3回の予選であと一歩のところまで行ったリトアニアが、世界あるいは欧州の桧舞台に立つことは目前と思われたが、欧州選手権2000年大会から風向きが変わった。この2000年大会予選でリトアニアの入ったグループ9を独走したのがチェコである。10戦10勝というグランドスラムを達成する。2位に入ればプレーオフ進出という中でスコットランドが勝ち点18で2位に滑り込む。リトアニアはエストニア、ボスニア・ヘルツェゴビナと勝ち点11で並んだが当該チーム間の成績で5位に終わっている。最下位のフェロー諸島の1つだけ上の順位というブービーに終わったのである。
■4予選連続でブービーまたは最下位に終わる
そしてこの流れは止まらなかった。続く2002年ワールドカップ予選はイタリア、ルーマニア、ハンガリー、グルジアというメンバーである。杉原千畝の母国でも行われるワールドカップに出場するために何とか2位争いをしたいところであったが、終わって見れば2分6敗と勝ち星を挙げることなく最下位で終わる。2004年の欧州選手権もまたドローに恵まれながら残念な結果になる。ドイツ、スコットランド、アイスランド、フェロー諸島というメンバーであり、2位以内を目指すには絶好のチャンスであったが、結局前回大会同様、順位表で下にいるのはフェロー諸島だけということでブービーの4位に終わってしまっている。
2006年ワールドカップ予選はスペイン、セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ベルギー、リヒテンシュタインとタフなグループに入り、かつてリトアニア自身の運命を左右したドイツの地を目指すことになる。2位以内は難しいが、それでも中位以上の成績を国民は期待した。しかし、結果的には2勝4分4敗でブービーの5位、2勝をあげたのは12戦全敗、2得点、40失点で最下位に終わったリヒテンシュタインであった。
■第1戦でアウエーでイタリア相手にドロー、復活の兆し
2000年欧州選手権以来4回の予選はブービーまたはブービーメーカーという成績であるリトアニアは2008年欧州選手権でも第5シードという低い評価になった。グループBはイタリア、フランスというワールドカップ決勝を争った両国以外にウクライナ、スコットランドがそれに続く。それを追ってリトアニア、グルジア、フェロー諸島という勢力争いである。リトアニアは第1戦をアウエーのイタリアとの試合で迎えることになった。誰しもが世界王者イタリアの勝利を信じて疑わなかったであろう。しかし、リトアニアは21分に先制ゴールを奪い、30分に追いつかれたもののイタリアの勝ち越し点を許さず、貴重な勝ち点1をあげたのである。ホームでのスコットランド戦でも0-1という惜敗、そしてフェロー諸島にはアウエーで勝利、1勝1分1敗という五分の成績でフランスをホームに迎えるのである。(続く)