第701回 リトアニア、オーストリアと連戦(7) 6連敗の後に10勝2分2敗と勝ち越したフランス

■1950年のワールドカップ・スイス大会で3位になったオーストリア

 フランスは1946年のオーストリアとの7回目の対戦で初勝利をあげ、1951年にはコロンブで引き分け、1952年にはウィーンを訪問し、ウィーンで初勝利を上げる。
 フランスに対し分の悪かった占領下のオーストリアであるが、国際舞台では輝いた。それが1954年のワールドカップ・スイス大会である。オーストリアは第二次世界大戦後最初に行われた1950年大会には出場できなかったが、1954年大会には出場、予選でポルトガルを破り、スイスで開催された本大会に出場している。本大会ではグループリーグでスコットランド、チェコスロバキアに勝利し、準々決勝では開催国スイスに競り勝つ。準決勝ではオーストリアの運命を何度も動かした西ドイツと対戦し、1-6と敗れてしまう。しかしながら3位決定戦でウルグアイに勝利し、見事な成績を残したのである。同じ大会にフランスも出場しているが、フランスはグループリーグで1勝1敗で敗退している。

■1958年の欧州選手権予選ではフランスが連勝

 1955年にオーストリアは共和国として独立したが、地理的にも東西の中間にあり、永世中立国として東西対立の緩衝地帯となった。独立した翌年にはパリに迎えて、フランスが3-1と勝利、さらにスウェーデンでワールドカップのあった1958年にはオーストリアは独立後初めてフランスを迎える。この試合もフランスが勝利し、1引き分けを挟んで4連勝する。
 フランスとオーストリアの初めてのタイトルマッチでの対戦は記念すべき第1回の欧州選手権予選である。フランスはオーストリアにホーム、アウエーとも勝利し、地元で開催された本大会へ出場することになる。ところがフランスは地元開催の本大会ではユーゴスラビア、チェコスロバキアという東欧勢に連敗、西側陣営の意地を見せることなく惨敗してしまう。

■1982年ワールドカップ準決勝に大きく前進したマドリッドでの勝利

 唯一フランスとオーストリアが中立地で対戦したのが1982年のワールドカップ・スペイン大会である。オーストリアは1次リーグで因縁の西ドイツと同じグループに入り、グループリーグ最終戦で対戦する。同じグループにはアルジェリアとチリが入っていたが、この両チームの間で行われた最終戦は一足先に終わっていた。西ドイツがオーストリアに1-0で勝利すると、両チームとも2次リーグに進出可能である。試合は台本どおり西ドイツがオーストリアに1-0で勝つが、この試合がきっかけとなって次の大会からグループリーグの最終戦の試合時間が変更となった。
 一方のフランスは1次リーグでイングランドに敗れながらもなんとか2位で2次リーグに進出する。フランスがワールドカップでグループリーグを突破したのは1958年大会以来のことである。そのフランスとオーストリアは2次リーグで北アイルランドとともに首位の座を争う。3チームで行われる2次リーグは首位チームの未が準決勝に進出できる。その2次リーグの第1戦でフランスとオーストリアが対戦する。巴戦であるから負けた場合可能性は小さくなる。マドリッドで行われたこの試合、フランスはベルナール・ジャンニーニ野唯一のゴールを守りきり1-0と勝利する。そしてオーストリアは北アイルランドと引き分けて脱落、最終戦でフランスは北アイルランドを下し準決勝に進出、セビリアでの西ドイツとの死闘となったのである。

■オーストリア戦勝利後に控える悲劇的な敗戦

 その後のタイトルマッチでの対戦は1994年ワールドカップ予選であり、ホーム、アウエーともフランスが勝利するが、フランスは予選終盤でイスラエル、ブルガリアにホームで連敗し、米国行きを逃している。
 このようにフランスはタイトルマッチでオーストリアに5戦5勝であるが、オーストリアに勝利した直後にいずれも悲劇的な敗戦が待っているのは何かの因縁であろうか。
 不思議なことに独立後は親善試合の数も少なくなってしまう。独立して50年以上になるが、今回の親善試合が6試合目である。また、これまでの対戦成績をトータルするとフランスが10勝2分8敗と勝ち越しているが、最初の6回の対戦で6連敗していることを考えると、この半世紀は圧倒している。
 ところで、最近のオーストリアの姿であるが、1995年にはEU(欧州連合)への加盟とともにEFTA(欧州自由貿易連合)を脱退し、今日に至っている。そしてフランスと同じEUに所属してからの対戦は1度だけであり、1998年8月19日にウィーンで親善試合を行い、2-2の引き分けに終わっている。(続く)

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