第706回 フランス・サッカーの失われた世代(2) 国外移籍した若手選手の数少ない成功例
■ボローニャで成功しなかったミカエル・ファーブルとムラド・メグニ
若手育成で定評があるナントの下部組織に所属していた15歳のミカエル・ファーブルがイタリアのボローニャに移籍したのは1999年夏のことである。このGKの存在はボローニャに移籍するまで誰も知らなかったが、イタリアの名門に移籍する段階でファビアン・バルテスの後継者として期待された。しかし、ボローニャの2シーズンで出場はなく、セリエC2に降格させられたフィオレンチーナに移籍しても出場機会はなかった。そして傷心の帰国で当時2部のスダンに拾われたが、3シーズンで出場わずか4試合にとどまった。そしてスダンは1部に昇格したが、ファーブルはチームの1部昇格と同時に3部に相当するナショナルリーグのクレルモンに移籍、23歳になってようやくナショナルリーグのクラブのレギュラーに落ち着いた次第である。
1984年生まれのムラド・メグニもボローニャに16歳で契約した。初めてのプロ契約を国外のクラブで結んだわけだが、彼が試合に出場できたのはフランスのアンダーエイジの代表チームだけであった。ようやく20歳を目前にして試合に出場することができるようになったが、それも全体の半分ほどである。ソショーに戻ってもレギュラーには定着できず、再びボローニャに戻っている。そして16歳以下の欧州選手権準優勝、17歳以下の世界チャンピオンと栄光に輝いた代表チームのユニフォームもアンダーエイジだけであり、フル代表のユニフォームを着ることなく今日に至っている。
■失われた世代、1983年生まれと1984年生まれ
このように若くして国外のクラブと契約しながらその後大成しなかった選手は1983年生まれと1984年生まれに集中している。1984年生まれというと2001年にトリニダードトバコで開催された17歳以下の世界選手権でフランスが優勝したときの主力メンバーである。当時17歳ということは現在23歳、ビッグクラブや代表チームの若手選手として主力となっていてもおかしくはない。しかし、優勝したフランスからはフル代表チームに入った選手はおらず、クラブレベルでもレギュラーとなっている選手はソショーのアントニー・ルタレックくらいである。
3月下旬のリトアニア戦とオーストリア戦で代表デビューを飾った若手選手は19歳のカリム・ベンゼマ、同じく19歳のサミール・ナスリ、20歳のアブ・ディアビー、22歳のラッサナ・ディアラ、彼らは1985年から1987年にかけて生まれており、1983年生まれ(アリアディエール、カルラモフ)や1984年生まれ(ファーブル、メグニ)で国外クラブに移った天才少年たちは追い抜かれてしまった感がある。フランス・サッカーの失われた世代といえるであろう。
■若年で国外移籍し成功した数少ない事例
一方、国外クラブを選んだ天才少年たち全てが挫折したわけではない。彼らよりも古い世代のニコラ・アネルカ(17歳でパリサンジェルマンからアーセナルへ移籍)、ルイ・サア(20歳でメッスからニューキャッスルに移籍)、パトリック・ビエイラ(19歳でカンヌからACミランへ移籍)、ミカエル・シルベストル(20歳でレンヌからインテル・ミラノへ移籍)の例を挙げれば、若くして国外にクラブに移籍して大成するケースもある。しかし、過去10年間で100人近くの選手が代表にデビューしているが、20歳前後で国外のクラブに移籍し、その後代表にデビューしたのはこの4人に加え、ウスマン・ダボ(21歳でレンヌからインテル・ミラノへ移籍)、ジョナタン・ゼビナ(20歳でカンヌからカリアリに移籍)、そして今回のディアビー(19歳でオセールからアーセナルへ移籍)、ディアラ(20歳でルアーブルからチェルシーへ移籍)と全体の1割にも満たない。また、代表入りした8人の共通点として、国内リーグにすでに出場してから国外に移籍しているという点である。
■不安の尽きないガエル・カクタと伊藤翔
その点で言うと、日本からこのたびグルノーブルに移籍した伊藤翔もまた日本国内でのプロ経験がないまま国外のプロチームと契約しており、第704回の本連載で紹介したチェルシーに移籍した15歳のガエル・カクタと同様、日本のファンの方は不安に思われるかもしれない。
これまでのケースを振り返ってみると、カクタも伊藤も不安は尽きないが、大和魂で、前例を覆し大きく羽ばたいてもらいたいものである。(この項、終わり)