第719回 2006-07フランスリーグ・フィナーレ(2) 44季連続で1部に在位しているナント
■戦時中に5つのクラブが合併して誕生したナント
前回の本連載ではパリサンジェルマンがかろうじて2部陥落を免れたことを紹介したが、今回と次回の本連載ではナントについて紹介しよう。ナントはフランスリーグの1部のチームではパリサンジェルマンと並ぶカップ戦のスペシャリストである。今季もリーグカップでは初戦のベスト16決定戦でトゥールーズに敗れたが、フランスカップでは準決勝に進出している。
ナントとパリサンジェルマンの共通点はいずれも合併して誕生したクラブであると言うことである。ナントは第二次世界大戦中の1943年にナント地域の5つのクラブが合併して発足している。当初の本拠地のスタジアムは5クラブ合同の推進者であり、創設者のうちの一人の名をとってマルセル・ソーパン競技場と名づけられた。そしてチームカラーの黄色と緑であるが、創設者のうちの一人であるジャン・ルギユーが多くの競走馬を保有し、その騎手の服の色が黄色と緑であったことからこの配色となった。ちなみにナントはカナリア軍団と言われるが、ブラジル代表は当時白いユニフォームを着ていたため、ナントこそが元祖カナリア軍団である。
■昇格2季目で優勝、44季連続1部在位
そのナントは1963年6月1日に1部昇格を決める。ところがその10日後、クラブ創設の立役者であるソーパンは逝去し、自らが育てたクラブの1部での試合を見ることなく鬼籍に入ったのである。しかし、天国でのソーパンにとってこの黄色と緑のクラブは最高のクラブとなった。1963-64シーズンに1部リーグにデビューしたナントは1部昇格2季目の1964-65シーズンにリーグ優勝を果たす。さらに、その後1度も2部に落ちることなく常にトップのリーグでプレーを続け、今季で44季連続1部在位という最多記録を更新中である。
これまでにリーグ優勝8回、フランスカップ優勝3回という輝かしい記録を残してきたのである。そのなかで1994-95シーズンに記録した1シーズン最小敗戦(1試合)と32試合連続勝ち点、また、1965-66シーズンと1979-80シーズンに記録したシーズン26勝はフランスリーグの記録である。
■近代的な新本拠地、充実した育成機関
そしてナントの本拠地のボージョワールは9年前のワールドカップで日本がクロアチアと対戦したことから日本の皆様にもなじみのあるサッカー場であろう。このボージョワール競技場は1984年に開催された欧州選手権のために市の郊外に新たに建設された競技場であり、マルセル・ソーパン競技場に代わってナントが本拠地として使用し始めた。1998年のフランスワールドカップで使用された競技場でスタッド・ド・フランスだけが新設であり、現在のフランスの主要競技場ではスタッド・ド・フランスの次に新しい競技場である。ワールドカップ以降は観客動員も好調であり、平均3万人以上の観衆を動員している。また、新しい競技場であるため、サッカー以外のスポーツや各種イベントにもしばしば利用され、今秋のラグビーワールドカップでは主要会場の1つとして期待されている。
さらにナントのすばらしさはそのハードウェアだけではない。マルセル・デサイー、ディディエ・デシャンを育てたのはこのクラブであり、選手育成と言うソフトウェアも優れているのである。特にデシャンは弱冠20歳の時にナントで主将を任され、その後のリーダーとしての資質を養い、リーダーの中のリーダーとなったのである。以前ユーロアジアインスティチュートが真のリーダーは誰かと言うアンケートを行ったが、その際の回答にデシャンの名前があったことは不思議ではない。
■2年連続の二桁順位、開幕戦でリヨンに敗れる
このような輝かしいナントも20世紀の最後には1998-99シーズンのフランスカップ、1999-2000シーズンのフランスカップ、2000-01シーズンのフランスリーグと3シーズン連続してタイトルを獲得したが、近年の成績は芳しくない。2004-05シーズンは17位、2005-06シーズンは14位と不本意な成績が続く。降格ぎりぎりだった2004-05シーズンは最終戦でようやく勝利し、残留を決めたことは本連載第453回で紹介している。そして今季は開幕戦で6連覇を目指すリヨンをホームに迎えたが、1-3と敗戦し、これまでにない苦しいシーズンが始まったのである。(続く)