第809回 2008年アフリカ選手権(1) 8年ぶり4回目の開催となるガーナ
■4回目となるアフリカ選手権の連載
フランスにおけるサッカーシーンの折り返し点となる年末年始の小休止の後の、フランスカップ、リーグカップの模様について本連載では紹介してきた。すっかりこれらは年明けの風物詩として定着した感があるが、今年は偶数年と言うこともあり、1月下旬から2月上旬にわたって行われるアフリカ選手権も忘れてはならない。本連載でも2002年大会(第26回から第31回)、2004年大会(第288回から第293回)、2006年大会(第517回から第523回)と紹介してきている。これまでも多くの読者の皆様にご愛読していただいているようであり、今大会も取り上げることとしたい。
■エジプトと並び最多の4回目の開催となるガーナ
今回のアフリカ選手権は26回目の大会であり、ガーナで開催され、16か国がアフリカナンバーワンを目指して1月20日から2月10日まで熱戦が繰り広げられている。ガーナでの開催は1963年、1978年、そしてナイジェリアと共同開催した2000年についで、通算で4回目となる。これまでアフリカ選手権を開催した国は15か国であるが、4回の開催はアフリカサッカー連盟の所在地であるエジプト(アラブ連合共和国時代の1959年、1974年、1986年、2006年)と並んで最多である。さらにガーナは共同開催とはいえ、わずか8年前に開催したばかりであり、これまで同一国での開催の間隔は6年(1962年と1968年のエチオピア)と言うことがあったが、大会の黎明期であり、アフリカサッカーがまだ夜明け前の1960年代のことであり、それ以降は同一国での開催は最低10年は間隔をあけている。このように8年ぶり4回目の開催はこれまでの歴史から考えると異例であるが、その理由は以下の通りである。
■ガーナが開催国に選ばれた理由
この2008年大会の開催国は2004年7月に決定されたが、有力な立候補国は南アフリカ、ガーナ、リビアの3か国であった。ところが、まず南アフリカはこの年の5月に2010年のワールドカップ開催が決定することから候補から外れる。最終的にガーナとリビアとの間での争いとなったが、2004年大会はチュニジアで開催、2006年大会はエジプトで開催と北アフリカでの開催が続き、さらにその前の3大会は1998年大会はブルキナファソ、2000年はガーナとナイジェリア(共同開催)、2002年はマリと西アフリカでの開催が3回続いた。したがって、今回も北アフリカで3大会連続開催はいかがなものかと言うバランス感覚が働き、同じ北アフリカのリビアには票は集まらず、ガーナが圧倒的な票を集めて開催国となったのである。
また、ガーナが多くの支持を集めたのはちょうど前年の2007年がガーナ建国50周年と言うことも少なからず影響しているであろう。ガーナは、南は海、西にコートジボワール、東にトーゴ、北にブルキナファソとフランスから独立した国に囲まれているが、元々英国の植民地である。1957年に英国より独立、1960年に共和国となっている。サハラ以南の中では最も早く独立を果たした国である。日本との関係で言えば野口英世が黄熱病の研究をガーナで行い、命を落としたことは日本とガーナの歴史や関係を語る上には欠かせない史実であろう。
■フランスで注目を集めるアフリカ選手権
今回も多くのサッカーファンの耳目がガーナに集まった。そしてガーナはフランスから独立した国ではないが、フランスでは国内サッカーに勝るとも劣らぬ多くの関心を集めている。
このアフリカ選手権がフランス国内で注目を集めていることについては過去の連載で紹介してきたとおりであるが、その理由はひとえにフランスとアフリカの結びつきの強さにあるといえよう。まずは多くのアフリカ諸国がフランスから独立し、アフリカ出身の人々が多数フランス国内に居住している。そしてピッチの中を見渡せば、多くのアフリカ人選手がフランスのクラブで活躍している。
本連載でも過去の紹介してきたように、2002年大会は67人の選手がフランスのクラブに所属し、2004年大会は77人、そして2004年大会には72人の選手がフランスから地中海を渡ってアフリカで母国のユニフォームを着て戦った。そして今回は60人とこれまでに比べて少ないが、決してフランスサッカーの力が落ちているわけではないのである。(続く)