第840回 今ここで考えるフランス・サッカーの危機(2) サッカー場で起こった人種差別問題

■パリの近郊に集中する移民

 相手チームのファンや警備の警察との小競り合いは絶えなかったが、極右政党などの政治的な集団との関係が少なかったフランスのサッカー場は今世紀になって様相を変えてきた。フランスのサッカー場に人種差別が入り込んできたのである。現在のフランスにおいて移民にとって最大の雇用吸収力を持つのはサービス業であり、首都パリである。そしてパリに職を求めてアラブ諸国から、アフリカから大量の移民が入国してきた。しかしながら、パリ市内は住宅の価格が高く、住宅の供給も限られている。したがって彼らはパリ近郊のHMLと呼ばれる低所得者層向けの集合住宅に住むことになる。結果としてパリ郊外には多くの移民が住みついたのである。

■移民の夢、サッカー選手

 異国を離れ、職を求めてパリ近郊に住み、パリ市内で労働するとしても彼らの生活は決して楽ではない。そして依然として様々な場面で人種差別と戦うことになる。低所得者層の彼らの子弟が、この貧困な生活から抜け出すための手段は学業ではない。なぜならば、学歴社会フランスにおいてある程度の学歴を得るためには親の社会的地位や収入が必要であり、本来ならば社会的階層間のエレベーターとしての機能を持つ学歴は、フランスにおいては硬直的であり、社会的地位の移動が起きにくく、階層間の移動は少ない。
 したがって、学業を通して一旗あげることが困難な彼らが、現状から脱却するひとつの道がプロサッカー選手である。近年のフランス代表クラスの選手を見ると、ティエリー・アンリ(レジュリス)、ウィリアム・ギャラス(アニエール)、ニコラ・アネルカ(ベルサイユ)、ラッサナ・ディアラ(パリ)、バカリ・サーニャ(サンス)、ハテム・ベンアルファ(クラマール)、ルイ・サア(パリ)などパリならびにその近郊出身の移民の子弟の選手が目立つ。これはこのような背景によるものである。

■人種差別問題発端となった横断幕「がんばれ、白」

 そのように多くの移民を抱えるパリ及びその周辺のサッカー場の中に人種差別問題が入りこんできたのは最近のことである。フランスでは横断幕や声援にチームカラーを使い、「がんばれ、緑」とあればサンテエチエンヌの応援である。パルク・デ・プランスで2005年2月6日に行われたフランスリーグの試合のことである。カードは今回のリーグカップの決勝と同じパリサンジェルマン-ランス戦である。本連載の読者の皆様ならばパリサンジェルマンのチームカラーは青と赤、そしてランスのチームカラーは黄色と赤である。この試合でパリサンジェルマンの応援席に「がんばれ、白」という横断幕が掲げられた。これはどちらのチームを応援するわけではなく、暗に白人以外の選手に対する人種差別である。この横断幕の事件を契機としてフランスのサッカー界は人種差別と戦うことになったのである。

■人種差別事件を契機にイングランドに渡ったパスカル・シンボンダ

 しかしながら、その直後に再び事件が起こる。2006年のワールドカップでフランス代表に抜擢されたパスカル・シンボンダをめぐる事件である。シンボンダはカリブ海のグアドループ出身の黒人選手であり、バスティアに所属していた。シーズン終盤の2005年5月7日にバスティアがイストルを迎えた試合のことである。バスティアのファンは敵チームのイストルに所属するセネガル代表のムーサ・エンディアエを猿の鳴き声の真似をしてからかう。そして、次に自分のチームのシンボンダに対して猿の鳴き声で野次を飛ばす。
 アウエーの試合で敵チームのファンから野次や罵声を浴びるのならば、プロのサッカー選手としてまだ容認できる範囲であろう。しかし、ホームゲームで自チームのファンから罵声、しかも人種差別的な罵声を浴びると言うことは我慢がならなかったであろう。シンボンダは試合の途中にピッチを去ろうとするが、同じく人種差別で苦労したニューカレドニア出身の元フランス代表のクリスチャン・カランブーから説得されてプレーをかろうじて続行した。シーズンが終了してシンボンダはバスティアを去る意志を見せる。国内のチームからオファーはあったが、シンボンダはイングランドの下位チームのウィガンを選択する。ここでシンボンダは大活躍し、年間ベストイレブンに選出され、先述のワールドカップメンバーとなった。
 このようにシンボンダの大抜擢の陰にはフランス・サッカーにおける人種差別問題が潜んでいたのである。(続く)

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