第867回 惨敗を振り返って(1) グループリーグ敗退に至るシナリオ

■ワールドカップ、欧州選手権で5回目のグループリーグ敗退

 昨年の組み合わせ抽選で「死のグループ」に入ったフランス、その段階から不安感は漂っていたが、ルーマニアにスコアレスドロー、オランダに大敗、イタリアに完敗という結果に終わり、例を見ない惨敗となった。
 これまでフランスがワールドカップや欧州選手権のグループリーグで敗退したケースは近いところから遡ると2002年のワールドカップ、1992年の欧州選手権、1978年のワールドカップ、1966年のワールドカップの4回であり、今回が5回目のことである。

■2002年ワールドカップ、1992年欧州選手権と同パターン

 今回の敗退は最近2回のグループリーグでの敗退と展開そのものはよく似ている。2002年のワールドカップは本連載でも紹介しているが、第1戦でセネガルに0-1と敗れ、第2戦のウルグアイ戦はスコアレスドロー、そして今回同様1分1敗で迎えた最終戦で2点差でデンマークに勝利すれば決勝トーナメントという展開であった。また、1992年の欧州選手権は第1戦で地元スウェーデンと1-1の引き分け、そして第2戦は直前の親善試合で敗れているイングランドとスコアレスドロー、そして第3戦は大会直前にユーゴスラビアに対する国際制裁によって代替出場となったデンマークである。このデンマーク戦に勝利すれば決勝トーナメント(当時は4チームが決勝トーナメントに進出)であったが、デンマークに先制を許し、一旦は追いついたが、決勝点を奪われ、グループリーグで姿を消してしまった。

■優勝候補が短期決戦で取りこぼし、グループリーグ敗退

 この2回の敗退は第1戦、第2戦で勝ち星を挙げられず、第3戦に望みを託したが、敗れてしまうというパターンであった。そしてこの2回の敗退に共通していたのは、フランスが優勝候補最右翼と目されて本大会に臨みながら敗退している。今回も優勝候補の1つであり、有力国のグループリーグでの敗退という点では共通している。
 そして、これらの敗退も歯車がかみ合わず、短期決戦のグループリーグで調子の波に乗ることができないままグループリーグで敗退したということで大会後にメンバーが入れ替わるケースはなく、次の目標に向かっていき、4年後の同じ大会では好成績を残したのである。

■若手チームで強豪にチャレンジした1978年ワールドカップ

 一方、1978年大会の敗退は様相が異なる。アルゼンチンで開催されたワールドカップでフランスは開催国で優勝することになるアルゼンチンと同じグループに入る。そしてイタリア、ハンガリーと言う実力国の集まるグループに入る。当時はまだ「死のグループ」と言う表現がなかったが、今回のグループC以上の激戦区であり、最終的にアルゼンチンが優勝し、イタリアが3位になっている。これ以降のワールドカップで、同一のグループリーグから3位以内に2チームが入ったのは、ブラジルが優勝し、トルコが3位に入った2002年まで待たなくてはならない。アルゼンチンのワールドカップは軍政下で行われ、地元アルゼンチンに有利な組み合わせの中で行われた。イタリア移民の多いアルゼンチンで、アルゼンチンとイタリアの試合は最終戦に組まれ、アルゼンチンの第1戦はそのころから陰りが見えた中欧の古豪ハンガリーであった。したがってフランスの初戦の相手はイタリアである。フランスはイタリアに1-2と敗れ、第2戦で地元アルゼンチンと対戦する。アルゼンチンは第1戦のハンガリー戦で勝利を収め、フランスにも2-1と勝利する。イタリアも第2戦でハンガリーに勝利しており、第2戦を終了した時点でフランスはハンガリーとともにグループリーグで姿を消したのである。このアルゼンチン大会には、フランスは若手中心の陣容でアルゼンチン入りし、グループリーグでは当初からアルゼンチンとイタリアが有力視されていた。若手中心のフランスは12年ぶりの出場と言うこともあり、それほど期待されていなかったが、ミッシェル・プラティニなどこの大会で国際舞台にデビューした中盤のタレントは1980年代の活躍を支えることになるのであった。
 このように敗退に至るプロセスは多少異なるものの、2002年ワールドカップ、1992年欧州選手権は「優勝候補の取りこぼし」、1978年ワールドカップは「若手チームの勉強」ということで、敗退後もメンバーの大幅入れ替えには至らなかった。しかし、今回の敗退は大きくチームの編成に手を入れなくてはならない予感がするのである。(続く)

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