第949回 チャンピオンズリーグ、フランス勢の低迷(4) 創成期の栄光、1998年以降の低迷
■過去10年間の低迷
前回までの本連載では国内では無敵のリヨンばかりではなく、その他のフランスのクラブもチャンピオンズリーグでは早期敗退してきたことを紹介した。
リヨンがチャンピオンズリーグに登場するようになった過去10年で、フランス勢はのべ30チームがこの欧州最高のタイトルに挑んでいる。しかし、モナコが2003-04シーズンに準優勝した以外は、リヨンがベスト8に3回進出(2003-04、2004-05、2005-06)、ベスト16以下進出も8回である。つまりベスト16以上に残る確率は4割、ベスト8以上に残る確率は1割強と言うことでかなり低い数字である。フランス代表あるいはフランス人選手の活躍を考えると不本意な成績である。
■創設から4年連続で準決勝以上に進出したフランス勢
しかし、歴史を振り返ってみると創成期のチャンピオンズリーグにおいてフランス勢は素晴らしい成績を残してきた。従来のチャンピオンズカップがチャンピオンズリーグとなったのは1992-93シーズンのことである。それまでノックアウトシステムだけだったチャンピオンズカップにリーグ戦方式を導入することによってチャンピンズリーグは誕生した。この最初の大会の決勝戦で勝利したのがマルセイユである。マルセイユは八百長疑惑でタイトルを剥奪されたが、その翌年の1993-94シーズンはモナコ、1994-95シーズンはパリサンジェルマン、995-96シーズンはナントが準決勝に進出し、創設から4年連続で準決勝以上に進出している。1996-97シーズンに出場したオセールこそ準々決勝で敗退しているが、その翌年の1997-98シーズンにはモナコが準決勝に進出している。
チャンピオンズリーグの最初の大きな変化がリーグ戦の導入であるならば、第2の変化はこの1997-98シーズンから導入された一国から複数のチームが出場できるようになったことであろう。この1997-98シーズンは前年度のリーグで優勝したモナコに加え、2位のパリサンジェルマンが出場している。パリサンジェルマンはグループリーグで2位となったが、当時はグループリーグは6グループで行われ、首位6チームならびに2位チームのうち成績のよい2チームの合計8チームが準々決勝に進むと言う大会方式であったため、パリサンジェルマンはグループリーグ敗退となっている。しかし、そのパリサンジェルマンも欧州16強の力を持っていたわけである。
■1998-99シーズン以降続く早期敗退
このようにチャンピオンズリーグが誕生してからは常に欧州の上位に進出していたフランスのクラブであるが、1998-99シーズンからは一転して早期敗退が続く。2003-04シーズンのモナコの準優勝だけが例外である。
この理由はいくつか考えられるが、まず、ボスマン判決後、フランスのトップレベルの選手が国外のクラブに大量に移籍し、フランスのクラブチームの地位が相対的に下がったと言うことがある。しかし、だからと言ってフランスのリーグチャンピオンのリヨンをはじめ、フランスの有力クラブがチャンピオンズリーグで早期敗退する理由を100%説明することにはならないであろう。
■ワールドカップ優勝以降のクラブチームの不振
他に考えられる理由としては1998年のワールドカップ優勝によってフランスのサッカーファンの関心がクラブチームよりも代表チームに集中したことも忘れてはならないであろう。それまではクラブチームの試合は満員でも、代表チームの試合は空席が目立っていた。それが1998年のワールドカップ優勝によってファンは代表チームに注目し、クラブチームへの注目が相対的に落ちた。欧州において代表チームがクラブチームよりも注目を集めるという現象は非常に珍しいケースであり、その結果としてフランスのクラブチームが欧州のサッカーシーンから取り残されたと考えることもできる。つまり1998年のワールドカップ優勝がフランスのサッカーを退潮させたと言う皮肉な結果になったのであろう。
また、特にこの3年間の成績は低調であるが、保守右派のニコラ・サルコジ大統領の登場とともに「弱いフランス」になったというのも皮肉な結果である。
幸いなことに、現在のチャンピオンズリーグに出場している選手を国籍別で比較するとフランスが一番多い。フランスのクラブチームが欧州の覇権を獲得する日が来る日を願ってやまない。(この項、終わり)