第969回 国内カップ、フィナーレ(5) ブルターニュ・ダービーとなったフランスカップ決勝

■フランスカップ決勝史上のダービーマッチ

 前回の本連載では4月25日に行われたリーグカップの決勝でボルドーがブルターニュにある2部のバンヌを一蹴して優勝したことを紹介した。ボルドーの主将が優勝カップを高々と掲げたスタッド・ド・フランスでその2週間後、今度はフランスカップの決勝が行われた。
 今年のフランスカップの決勝進出チームはレンヌとギャンガン、いずれもブルターニュのチームと言うことで注目を集めた。これまでのフランスカップ決勝がダービーマッチとなったことは数少ない。第二次世界大戦以前はパリに複数の強豪クラブがあったために、パリ及びその近郊のチーム同士で決勝を争ったことが3回かあったが、それ以外のケースとしては1929年のモンペリエ-セート戦、1933年のエクセルシオール・ルーベックス-RCルーベックス戦、そして1948年のリール-ランス戦くらいである。フランスのダービーとして誰もが思い浮かべるサンテエチエンヌ-リヨン戦はフランスカップの決勝では実現したことはない。

■ブルターニュ同士、チームカラーも赤と黒の同色対決

 したがって今回のレンヌ-ギャンガン戦は61年ぶりのダービーマッチとなったのである。前回のダービーマッチとなったリール-ランス戦の際は第二次世界大戦後の復興期であり、ポーランドからの多数の炭鉱労働者が両チームを支えていた。通常のフランス語とは異なるブルトン語が使用される独特の文化圏からの決勝進出にブルターニュ地方の人々は大きな誇りを感じ。TGVアトランティックに乗って大挙してパリにやってきたのである。
 ちなみにブルトン語ではレンヌはロアゾン、ギャンガンはグウェンガンピとなり、ロアゾン-グウェンガンピ戦はブルターニュに人々にとって待望のカードとなったのである。
 ブルターニュのカラーは白と黒、ブルターニュ地方最大の都市であるレンヌのカラーも白と黒、さらにギャンガンの町のカラーも青と白であるが、両チームのチームカラーは奇しくも赤と黒である。チームカラーが同色同士で争うフランスカップ決勝と言うのもまた珍しいであろう。

■これまで4回の決勝進出で2回優勝しているレンヌ

 1部上位の常連となったレンヌはこれが4回目の決勝進出である。1922年はレッドスターに0-2、1935年にはマルセイユに0-3と敗れ、第二次世界大戦前は2度の決勝で2回とも準優勝に終わっている。レンヌが最初の栄冠を獲得したのは1965年のことである。レンヌは決勝でスダンと対戦し、延長までもつれ込んだが、2-2のタイスコアとなる。当時はまだPK戦は存在しなかったため、3日後に再試合が行われた。再試合ではレンヌが3-1と勝利し、3回目の決勝で始めてフランスカップを獲得したのである。そして1971年にはレンヌは決勝でリヨンと対戦する。3回目の優勝を目指すリヨンに対し、レンヌは後半63分にPKで奪った1点を守りきり、2回目の優勝を果たしたのである。

■初優勝を狙うギャンガンのノエル・ルグラエ会長

 一方のギャンガンは1995年に初めて1部に昇格する。そして昇格2年目の1996-97シーズンにはフランスカップで決勝に進出する。決勝の相手はすでに2部降格の決まったニースであった。パルク・デ・プランスでの最後のフランスカップ決勝となったが、ニースとギャンガンは1点ずつゴールを挙げて延長戦に突入、延長戦では両チームとも得点をあげることはできず、フランスカップの行方はPK戦にゆだねられる。このPK戦ではニースが4-3と競り勝ち、ギャンガンは初タイトルのチャンスをものにすることができなかったのである。
 現在2部のギャンガンにはビッグネームはいないが、過去には1998年のワールドカップで活躍したステファン・ギバルッシュ、バンサン・カンデラをはじめ、ディディエ・ドログバ、フローラン・マルーダなど代表チームで活躍している選手が名を連ねている。
 そして現在のギャンガンでもっとも有名であるのはノエル・ルグラエ会長であろう。1941年にブルターニュで生まれたルグラエ会長は、1972年から1991年までギャンガンの会長を務める。そして1995年から2008年にはギャンガンの市長を務め、1995年から2008年まではフランスサッカー連盟の副会長、1991年から2000年までフランスリーグの会長を務めており、1993年のバランシエンヌ-マルセイユ戦の八百長疑惑を見事に裁いたことは記憶に新しい。そして、2002年から再びギャンガンの会長に就任し、ビッグタイトルを狙っているのである。(続く)

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