第105回 2004年欧州選手権予選開幕(1) アフロディーテの故郷、キプロス
■東地中海に浮かぶ島、キプロス
ジャック・サンティーニ監督率いる新生フランス代表の最初の公式戦が欧州選手権予選の開幕戦となる9月7日のキプロス戦である。キプロスといえば東地中海に浮かぶ島でその面積は地中海の中では3番目。日本の皆さんには四国の半分くらいの面積であると言えばイメージしやすいであろう。美術に造詣の深い日本人の皆さんがパリを訪問した際に必ず訪れるルーブル美術館の「ミロのビーナス」であろう。この作品はギリシャのものであるが、ギリシャ神話でローマ神話のビーナスに相当するのが恋愛と美の女神アフロディーテである。このアフロディーテの誕生したのがキプロスである。
また、印象派に興味があるならば、セーヌ川を渡り、オルセー美術館に足を運ぶであろう。数々の印象派の名画のうちクロード・モネの「サン・ラザール駅」を記憶にとどめておられる方も多いはずである。サン・ラザール駅は1937年にパリで最初に建設された鉄道駅であり、北西部への玄関となっている。1938年に開催されたワールドカップ・フランス大会の際に遠来のブラジルチームは船でルアーブルに上陸し、ルアーブルから鉄道でパリのサン・ラザール駅に到着する。長旅から解放されたブラジルチームの選手がサン・ラザール駅のプラットホームでボールリフティングを始めた逸話は有名である。実はサン・ラザールはキプロスの聖人である。パリを代表する美術館の目玉となる作品とキプロスは縁があるのである。
■南北に分かれたキプロス
しかし、恋愛と美の女神を生んだこの美しい島も政治紛争の影響を受けている。首都ニコシアは1000年以上にわたりキプロスの中心であるが、1191年にフランス十字軍戦士の到着後、防衛のため、都市城壁を築き、城壁を強化した。しかし、その市内がさらに新たな壁で南北に分断されている。キプロスは1960年にイギリスから独立したが、1974年にギリシャ軍のクーデタに端を発したトルコ軍の侵攻により、島を東西に貫くグリーンラインに沿って南半分がギリシャ系、北半分はトルコ系というように住み分けがなされ、北部のトルコ系住民は1983年に北キプロス・トルコ共和国という独立国家を発足させたが、トルコ以外はこの国家の存在を承認していない。南北を隔てるグリーンラインはニコシア市内も通過しており、ニコシアはかつてのベルリンのように分断された都市なのである。
■キプロスの国際舞台への挑戦の歴史
そのキプロスがフランスにとって2004年欧州選手権への最初の関門となる。キプロスは韓国と日本で開催されたワールドカップの予選ではポルトガル、アイルランド、オランダと言う列強が揃ったグループ2に入る。前記の3強にはホーム、アウエーとも全敗であり、得点もホームでのポルトガル戦のみであった。一方、下位のエストニアとは2分、ワールドカップ予選初出場のアンドラには2勝し、グループで5位の成績であった。
ちなみにキプロスのワールドカップ初挑戦は1962年のチリ大会のことである。1960年8月16日に独立したばかりのキプロスはグループ7に入る。このグループは変則的であり、まずキプロスとイスラエルがホームアンドアウエーで対戦し、その勝者が今度はエチオピアとホームアンドアウエーで対戦する。そしてその勝者がイタリアとホームアンドアウエーで対戦し、本大会出場の権利を得る、という仕組みになっている。
キプロスの初陣は10月13日のニコシアでのイスラエル戦。記念すべき試合を1-1のドローに持ち込み、テルアビブに11月27日に乗り込むが、1-6と大敗を喫し、夢は破れたのである。(イスラエルはエチオピアも倒すが、結局イタリアが本大会に出場する)
欧州選手権は1968年のイタリア大会からエントリーしており、予選で敗退したが、スイスから貴重な白星をあげている。以来、欧州選手権やワールドカップの本大会に出場したことはなく、前回紹介したとおり、キプロスは今回の組み合わせで下から2番目になる第4シードである。
しかしながら、キプロスは今まで2回、世界をあっと言わせるようなジャイアントキリングをしたことがあるのである。(続く)