第174回 マルタ、イスラエルと連戦(3) 5年ぶりのスタッド・ド・フランス以外でのタイトルマッチ

■勝利よりも内容の問われるマルタ戦

 5か月ぶりに再開する欧州選手権予選の対戦相手はマルタとイスラエル。本連載第121回で紹介したようにマルタとは昨年10月日にマルタで対戦し、フランスが4-0と大勝している。チェコ戦で調子を崩したとはいえ、地力の差は明白であり、日本のサッカーくじ流の表現を使うと「フランスの勝利は鉄板」ということになるであろう。予選突破だけが目的であるならば、勝って勝ち点3をとればいいであろう。しかし、現在のフランス代表は勝ち点という結果よりも、むしろその勝ち方が要求される段階にあると言える。その結果、主将であり守備の要であるマルセル・デサイーやチーム最古参のエマニュエル・プチを外して戦いに挑むのであろう。

■1998年以前はパリ以外での試合が多かった代表戦

 今回のマルタ戦の舞台はランスである。自国開催のワールドカップを控えてスタッド・ド・フランスがオープンした5年前、筆者はサッカークリックに連載を開始したが、フランス代表のホームゲームの開催地について、サッカークリックの連載の序盤で紹介してきた。サッカークリック以来の読者の方はよくご存知であると思うが、当時のフランス代表はパリではなく、むしろ熱狂的な応援の期待できる地方都市でホームゲームを行っていた。ところが、1998年のワールドカップ優勝が全てを変えた。フランス代表のホームゲームのほとんどは新たな聖地となったスタッド・ド・フランスで行われるようになった。
 しかしながら、1998年の夏以降続いていた熱気も冷めてしまったことは2月のチェコ戦で観客動員の最低記録を更新してしまったことからも明らかである。もちろん観客の数だけではなく、試合中からフランス代表のふがいない戦いにブーイングが起こり、「スタッド・ド・フランスはパルク・デ・プランスに戻ってしまった」と言われた。(パルク・デ・プランスは、パリにあり、スタッド・ド・フランスが完成するまでフランス代表のホームグラウンドであり、ホームチームのフランス代表に対しても凡プレーには容赦ないブーイングが浴びせられた。)

■今まで無敗のランスでのブルー

 このような状況で今回スタッド・ド・フランスを離れ、地方都市でホームゲームを開催するということは苦境にあるフランス代表にとってメンバーの入れ替えなどと同様、気分転換を図る絶好のチャンスである。
 ランスというと1998年6月28日のワールドカップの決勝トーナメント1回戦で、フランスがパラグアイと対戦し、延長戦でローラン・ブランがゴールデンゴールを上げてフランスが勝ち、この試合で波に乗ったフランスがイタリア、クロアチア、ブラジルと連破し、優勝への道を駆け上がった、思い出深い地である。また、今までランスではフランス代表はパラグアイ戦を含めて4試合戦っている。最初は1978年3月24日のポーランドとの親善試合。1974年ワールドカップで旋風を巻き起こした東欧の強豪を2-0と下している。その後、RCランスが2部リーグに所属していたこともあり、代表の試合ではなかなか使われなかったが、1992年の欧州選手権本大会直前の6月5日にオランダと最終調整のための親善試合を行い、1-1のドロー。そして自国開催のワールドカップの組み合わせ抽選会を控えた1997年10月11日、南アフリカを迎えて親善試合を行い、2-1と下している。翌年のワールドカップで再び南アフリカと対戦し、ランスで決勝トーナメント1回戦を戦ったことから、この親善試合の相手と開催地はフランスの優勝に貢献したと言えよう。

■パラグアイ戦以来のスタッド・ド・フランス以外でのタイトルマッチ

 1998年のワールドカップ優勝以降、フランス代表がホームゲームをスタッド・ド・フランス以外で行ったことは2回しかない。FIFAの非公認試合としては2000年8月16日のマルセイユでのFIFA世界選抜戦があるが、公認試合としては1999年1月20日にマルセイユで行ったモロッコ戦と2001年8月15日のナントでのデンマーク戦のみである。しかもモロッコ戦もデンマーク戦も親善試合であり、タイトルマッチを地方都市で行うことは実は1998年ワールドカップ決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦以来であり、スタッド・ド・フランス以外でのタイトルマッチを2試合連続してランスで行うことになる。
 ゴールデンゴールが決まった直後、「光はローラン・ブランから」とテレビのアナウンサーが叫んだ言葉はあまりにも有名である。そして2003年3月29日、ランスで光をもたらすのは一体誰であろうか。(この項、続く)

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