第254回 欧州選手権予選を振り返る(3) 新戦力が必要な本大会での上位進出
■新人には厳しい代表のレギュラー
ジャック・サンティーニ監督は、数多くの新人を起用しながら、今回の予選を勝ち抜いてきたが、前回の本連載では、ワールドカップでも活躍したレギュラー陣の壁が厚いことを紹介した。しかし、確実に世代交代は進んでおり、問題は若い世代が期待に応えてブルーのユニフォームで素晴らしい活躍をすることができるか否かにかかっている。来年6月にポルトガルでブルーのユニフォームを着ることができるのは23人。ワールドカップに出場したメンバーからエマニュエル・プチ、ユーリ・ジョルカエフ、クリストフ・デュガリー、フランク・ルブッフが代表から去ったが、彼らの後を別のワールドカップメンバーが埋めており、レギュラーの位置をつかみそうな新メンバーはストッパーのウィリアム・ガラスくらいである。
■惨敗した1992年欧州選手権と2002年ワールドカップの共通点
しかしながら、予選を勝ち抜くだけではなく、長丁場の本大会で栄冠をつかむためには新戦力が必要である。例えば、前回のグランドスラムを達成したチームは1988年秋にミッシェル・プラティニ監督が就任してから1990年のワールドカップ予選の後半を戦い、序盤での取りこぼしを回復できずにイタリア行きを逃したメンバーがグランドスラムを達成した。ところがスウェーデンでは2分1敗でグループリーグを勝ち抜くことができなかった。また、記憶に新しいのは昨年のワールドカップでも1分2敗でグループリーグ敗退。この2度の本大会での惨敗に共通するのは、本大会の前シーズンに新たに代表入りした選手が非常に少ないことである。1992年大会の際はオーバヘッドキックのゴールを量産し、ミスター・バイスクルと言われたアマラ・シンバが1991年8月に代表入りし、3試合で2得点と期待に応えたが、スウェーデン行きのメンバーから外れてしまった。また、昨年のワールドカップの際はジブリル・シセが大会直前に代表入りしたが、本大会では十分に活躍する機会を与えられず、チームとしても無得点と言う不本意な成績で韓国を去ることになってしまった。
■本大会の前シーズンに大量の新人がデビューし、栄冠をつかむ
一方、エメ・ジャッケ監督は1996年欧州選手権、1998年ワールドカップと2回の本大会で素晴らしい成績を残しているが、本大会の前シーズンに大量に選手を代表にデビューさせ、1995-96シーズンには7人がデビューし、そのうち3人がイングランドでセミファイナリストとなり、1997-98シーズンには8人が代表デビューし、そのうち5人が地元での優勝の栄冠に輝いた。また、ジャッケ監督の後を受けたロジェ・ルメール監督は2000年欧州選手権優勝、2002年ワールドカップ敗退と天国と地獄を経験したが、1999-2000シーズンにはジョアン・ミクーなど5人の選手を代表にデビューさせており、1人しか代表にデビューさせなかった2001-02シーズンとは対照的である。
■強豪が目白押しの本大会までの親善試合
このように1990年代からの本大会での歴史を振り返ってみれば、本大会の前シーズンに新人選手を積極的に招集してきた大会では好成績を残している。ジャック・サンティーニ監督も就任以来多くの新人を起用し、本大会の前シーズンに入ってから4試合行っている。しかし、この4試合で代表にデビューした選手はまだイスラエル戦に出場したアントニー・レベイエールだけである。フランス代表にとってポルトガル入りするまでに残された親善試合の機会は4試合ないしは5試合である。現段階では11月15日にドイツ戦、年が明けて2月18日にベルギー戦、3月31日にオランダ戦とアウエーでの戦いが続き、ホームでの戦いはFIFA創立100周年記念試合となる5月20日のブラジル戦まで待たなくてはならない。昨年のワールドカップの前シーズンと異なり、いずれ劣らぬ強豪との戦いの連続である。これらとの強豪との対戦の連続の中で果たしてどれだけの選手が新たにブルーのユニフォームを着て、ポルトガルの地を踏むことになるのであろうか。本大会出場権獲得後最初の親善試合となるドイツ戦のメンバー発表は11月6日である。(この項、終わり)