第266回 欧州選手権組み合わせ決定(2) 因縁のルス・スタジアム
■本大会惨敗の伏線となった1992年イングランド戦
欧州選手権本大会のグループBに入ったフランスの最大のライバルはイングランドである。イングランドとは初戦で対戦し、この結果によっては残るクロアチア戦、スイス戦の状況もどうなるかわからない。イングランドも最大のライバルをフランスと目しており、初戦に全力を注いでくることであろう。
フランスにとって過去のイングランド戦の成績は7勝5分23敗と大きく負け越し、欧州選手権での対戦成績も2分1敗と勝ち星はない。しかし、フランスが最後にイングランドに負けたのは1997年のことであり、その後は1勝1分と負けておらず、苦手意識は持っていないだろう。ところがグランドスラム後のイングランドは手ごわい。1992年欧州選手権予選でのグランドスラムについては本連載でも紹介しているが、グランドスラムを達成し、欧州選手権イヤーを迎えたフランス代表が最初に対戦したのがウェンブリーのイングランド戦であった。ウェンブリーでの初勝利も期待されたフランス代表であるが、聖地で0-2と完敗する。そしてこの敗戦で失速し、スウェーデンでの本大会でも惨敗してしまう。
■初戦の敗北が尾を引いた2002年ワールドカップ
また、フランスは1996年欧州選手権以来、ワールドカップ、欧州選手権の本大会に連続出場しているが、初戦のセネガル戦で敗れてチームを立て直せなかった昨年のワールドカップの記憶も生々しい。逆に初戦を難なくクリアした1996年欧州選手権、1998年ワールドカップ、2000年欧州選手権は余裕を持った戦いをし、上位に進出している。したがって選手、スタッフも初戦には必要以上に気を使うことになり、その結果は6月13日に明らかになる。
■1989-90欧州チャンピオンズカップ準決勝でマルセイユがベンフィカに先勝
そして忘れてはならないのが初戦の舞台がメイン会場のルス・スタジアムであると言うことである。今大会のために新設されたルス・スタジアムは、西欧最大の収容人員を誇っていた同名のスタジアムの隣に建設されたものである。先代のルス・スタジアムはフランス・サッカー界にとって苦い思い出があり、イングランドにとっては少なからぬ因縁がある。
今から13年前の1989-90シーズン。フランスはベルナール・タピの率いるマルセイユの全盛期、国内無敵でシルビオ・ベルルスコーニ率いるイタリアのACミランを倒すことが最大の目標であった。ジャン・ピエール・パパン、クリス・ワドル、エンゾ・フランチェスコリという攻撃陣、中盤にはディディエ・デシャン、ジャン・ティガナ、守備陣はフランク・ソーゼ、マニュエル・アモロス、エリック・ディメコと豪華なメンバーが揃い、欧州チャンピオンズカップで難なく準決勝に進出した。ライバルACミランも準決勝に駒を進めており、決勝対決を欧州中が期待した。マルセイユの準決勝の相手はポルトガルのベンフィカである。マルセイユでの第1戦は10分に先制を許すが、14分にソーゼが同点ゴール、そして前半終了間際にエースのパパンが逆転ゴールを決めて決勝進出に王手をかける。
■神の手ゴールで涙、ベンチにはスベン・ゴラン・エリクソン
そして第2戦は4月18日、ベンフィカの本拠地ルス・スタジアムで行われた。この季節はちょうどイースターの休暇と重なっており、ルス・スタジアムは超満員の12万人の観衆がつめかける。普段はフランス語の放送を見ているフランスに出稼ぎにきたポルトガル人が大挙して帰省し、帰省先で母国語の中継に熱中した。さらに、イースター休暇中ということでマルセイユからのファンも多くリスボンに移動し、12万人の大観衆の一角で青いマフラーを振り回す。
初戦の勝利で優位に立つマルセイユはワドル-パパンのホットラインを軸に立ち上がりから攻め立てるがゴールを奪うことはできない。後半に入っても両チーム無得点のまま、時計の針は動いていく。そしてこのまま引き分けならばマルセイユが決勝進出となる83分に事件は起こった。途中出場のベンフィカのバタがコーナーキックを手を使ってゴールに入れる。誰の目にもハンドは明らかであったが、審判団はゴールを認め、アウエーゴール2倍ルールでベンフィカが決勝に進出する。マラドーナの神の手で泣いたのは1986年のイングランドであったが、その4年後マルセイユも泣いた。そしてこのときのベンフィカの監督が現在イングランド代表監督のスベン・ゴラン・エリクソンである。それから9年後にラツィオの監督となってマルセイユと対戦したエリクソンはあの時は明らかなハンドであると認めている。ベンフィカの監督として輝かしい功績を残したエリクソンがルス・スタジアムでフランス代表と戦う、今回もなにかが起こりそうである。(この項、終わり)