第696回 リトアニア、オーストリアと連戦(2) 55年ぶりに国際舞台に復帰したリトアニア
■ソビエト連邦の15の共和国のうち一番最初に独立
1940年にソビエト連邦に併合されたリトアニアは独立した協会として代表チームを編成することなく、第二次世界大戦、そしてその後の冷戦時代を過ごすことになる。ところがそのリトアニアにも1980年代後半に変化が訪れた。ペレストライカという波、そして東欧の自由化という流れを受けて、1990年3月11日にソビエト連邦からリトアニア共和国として独立したのである。ソビエト連邦を組織していた15の共和国の中で一番早く独立し、この動きはその翌年のソビエト連邦のソビエト連邦の崩壊へとつながっていくのである。
■復帰初戦はポーランド戦、強豪と連戦する
そのリトアニアが独立して、最初のチャレンジは1994年ワールドカップ米国大会の予選である。1992年春に始まる予選を控え、リトアニアは精力的に親善試合を組んだ。1992年3月25日、リトアニアは代表チームとして実に55年ぶりに試合を行ったのである。この段階ですでにバルト三国は独立していたが、新生リトアニアはその初戦の相手にポーランドを選んだのである。リトアニアは前回の本連載で紹介したとおり、1795年にロシアに併合されるまではポーランドに所属していた。いわば昔の宗主国との対戦である。1970年代から1980年代にかけて東欧の強豪であったポーランドであるが、経済の衰退とともに弱体化し、世界や欧州の舞台に立てなくなっていた。しかし、ワルシャワで行われたリトアニアの復帰戦でポーランドは2-0と勝利し、リトアニアは55年ぶりの復帰戦を白星で飾ることができなかったのである。
そしてリトアニアは4月8日にはブカレストでルーマニアと対戦し、0-2で敗戦、さらに4月14日にはオーストリアとウィーンで対戦し、0-4と敗れるが、1990年のワールドカップ本大会出場国とアウエーで対戦し、地力をつけていたのである。
ワールドカップ予選の初戦は4月28日のベルファストでの北アイルランド戦、1982年の本大会に出場したこともある北アイルランドとアウエーで2-2のドロー、国際舞台に復帰して最初のタイトルマッチで初得点、初勝ち点を記録したのである。リトアニアが復帰後初勝利を上げたのは7月12日のラトビアとの親善試合であり、復帰7試合目での初勝利となった。また、ワールドカップ予選でも2戦目のアルバニア戦では敗れたが、第3戦のリーガでのラトビア戦で2-1と初勝利を上げている。そしてアウエーでの試合が続いたリトアニアが復帰後初めてリトアニア国内で戦ったのは復帰後11試合目となる1992年9月2日のグルジアとの親善試合である。この試合でリトアニアはうれしいホーム初戦での初勝利を飾り、続く12日の試合でも連勝する。
さて、懸命な読者の皆様は1994年のワールドカップ予選にリトアニアが挑戦し始めたころはまだスウェーデンで欧州選手権の開催前であったことに気づかれているであろう。バルト三国などの予選参加にともない、欧州予選の参加国が33から36に増えた。一部の試合は欧州選手権の本大会前から始まり、欧州選手権に出場しないチームの試合が組まれたのである。そして秋以降になるとリトアニアはワールドカップ予選で欧州選手権の本大会に出場したような強豪チームとも対戦し始める。
■2勝3分7敗でバルト三国の中で最高の成績
グルジアと親善試合で連勝し、ワールドカップ予選では欧州選手権で優勝したばかりのデンマークをホームに迎えることになった。この試合でリトアニアは欧州王者相手にスコアレスドローに持ち込む。このグループ3にはスペイン、アイルランドが所属し、デンマークを加えた3チームの力が抜きん出ていたが、デンマークは最終的にアイルランドと勝ち点で並ぶが得失点差で及ばず、米国行きを逃すことになる。デンマークは第1戦のラトビア戦もスコアレスドローに終わっており、いずれかの試合で勝っていれば米国へ渡っていたはずである。
結局このワールドカップ予選でリトアニアは2勝3分7敗という成績で7チーム中5位となる。この大会にはバルト三国が新たに出場したが、ラトビアはリトアニアと同じグループ3で5分7敗で6位、エストニアはグループ1で1分9敗で6チーム中6位であり、リトアニアはバルト三国の中で最も良い成績を残したのである。(続く)