第785回 欧州選手権予選ファイナル(3) アンリ・ミッシェル監督の執念、モロッコ相手に大苦戦のドロー
■母国と4回対戦したオマール・トルシエ監督
前回の本連載でモロッコ代表監督のアンリ・ミッシェルを紹介したが、思わぬところから大きな反響となった。日本代表のイビチャ・オシム監督が脳梗塞で倒れ、後任監督選びが話題になっており、ミッシェル監督のモロッコでの前々任のオマール・トルシエも有力候補となっていることから早速読者の皆様から問い合わせがあった。2005年5月にマルセイユの監督を半年で解雇されたトルシエ監督はその年の10月にモロッコ代表の監督に就任し、名前もフランス風のフィリップからイスラム風のオマールに改名する。しかしながら、モロッコ監督の椅子に座っていたのはわずか2月であり、12月には代表監督の座を辞している。その後はグラウンドを離れ、アジアでの評論活動で活躍をしていたが、このたびベナン代表監督に就任と報じられたばかりの日本代表監督就任というビッグニュースであった。常に短期間で監督の座を譲ってきたスピード重視のトルシエ流としては珍しく、日本ではほぼ4年と言う異例の長期政権であった。これは日本人選手が適応に時間を要したことの現れであろう。また、4年の任期中にフランスと3回対戦し、その対戦成績は1分2敗である。さらに1998年のワールドカップの際は南アフリカ代表監督としてフランスと戦い、通算成績は1分3敗である。
■母国に挑戦したフランス人監督たち
また、ミッシェル監督やトルシエ監督以外に異国の代表チームの監督として母国の代表チームに挑戦したのはチュニジアを率いたロジェ・ルメール監督、セネガルを率いたブルーノ・メス監督、2000年秋にカメルーンを率いたピエール・ルシャントルと合計5人おり、フランスに勝利したことがあるのは2002年ワールドカップ開幕戦で勝利したセネガル代表のメス監督だけである。
一方、フランス国内しかもメインスタジアムのスタッド・ド・フランスで母国に立ち向かったことがあるのは2000年10月4日のルシャントル監督と2001年3月24日のトルシエ監督だけであり、ミッシェル監督は他国の代表チームとして母国のメインスタジアムで母国の代表に立ち向かう3人目のフランス人となったのである。ルシャントル監督、トルシエ監督ともにミッシェル監督やルメール監督、メス監督と比較すると国内ではそれほど有名な監督ではない。ミッシェル監督は格の違いを見せ付けたいところである。
■久々のスタッド・ド・フランスでの試合と試合前のブーイング
ラグビーのワールドカップのため、9月と10月はサッカーのフランス代表は本拠地スタッド・ド・フランスを離れて試合をしなくてはならなく、スタッド・ド・フランスでの試合は6月2日のウクライナ戦以来のこととなる。したがってファンの関心は高く、サッカーのフランス代表の試合として久しぶりにチケットは前売りで完売、当日は鉄道ストライキもあり、観客の出足が危ぶまれたが、7万8000人の観衆でスタッド・ド・フランスは膨れ上がった。
マグレブのチームとしてスタッド・ド・フランスに姿を見せたのは本連載第5回から第12回にかけて紹介した2001年10月6日のアルジェリア以来のことであり、スタジアムの雰囲気はそのときと非常に似たものとなる。両チームの国歌吹奏の間はブーイングが行きかう。フランス代表の選手は3人を除いて容赦ないブーイングを浴びる。その1人は父親がチュニジア代表であったハテム・ベンアルファ、残りの2人がアルジェリア移民の子供であるカリム・ベンゼマとサミール・ナスリである。やはり、マグレブ諸国をパリ及びその近郊で受け入れることは難しいのであろうか。
■平常心を失ったフランス、ノックアウト寸前のドロー
鬼気迫るミッシェル監督に送り出されたモロッコのイレブンの気迫と、通常とは違うスタジアムの雰囲気にのまれ、フランスは平常心を失う。試合開始早々からモロッコがフランスゴールを襲う。そして8分にフランスは先制点を献上してしまう。フランスは15分にシドニー・ゴブーが同点ゴールを決める。そして後半になって76分にナスリが勝ち越しゴールを記録する。しかしここからモロッコは猛攻を仕掛ける。勝ち越し点を許した直後に同点ゴールのチャンスをつかみ、85分にモロッコは同点に追いつく。ここからの時間帯完全にモロッコが試合を支配した。しかし、頼みのロスタイムはわずか1分、ミッシェル監督の執念も及ばず、ノックアウト寸前のフランス相手に勝つことはできず、試合はドローとなった。
ウクライナ戦の準備として意欲の高すぎる相手との対戦となり、不安を募らせて、フランスのファンはその翌日にグラスゴーで行われるスコットランド-イタリア戦の行方を見守ったのである。(続く)