第869回 惨敗を振り返って(3) 批判が集中したレイモン・ドメネク監督
■若手発掘の機会を作ったA'代表の編成
前回の本連載ではレイモン・ドメネク監督が起用したベテラン選手が試合についていくことができず、フランスが敗退したことを紹介した。これらのベテラン選手を重用したドメネク監督への批判が集中しているが、昨年来の本連載で紹介している通り、ドメネク監督は親善試合の際にフランスA'代表を編成し、若手選手の発掘に努めてきた。昨年夏のスロバキアとのA'代表同士の親善試合に始まり、フル代表がスペインと対戦した2月にはコンゴ民主共和国代表と対戦し、3月のイングランド戦ではマリ代表と対戦してきた。毎回40人近くのメンバーをクレールフォンテーヌに招集し、その大選手団をフル代表とA'代表に二分し、若手のタレントの発掘の機会がこれほど充実していたのはフランス代表の歴史の中でも例のないことである。
■最終メンバーは若手を登用せず、ベテランに依存
しかしながら、5月末に発表されたメンバーのリストには若きタレントの名前がほとんどなかった。サミール・ナスリやジャン・アラン・ブームソンなどはA'代表の試合で活躍したが、彼らはフル代表の経験もある選手である。A'代表の経験しかない選手で欧州選手権の本大会へのチケットをつかんだのはマルセイユのGKのスティーブ・マンダンダだけである。そしてフル代表もA'代表も経験のないサンテエチエンヌのバフェタンビ・ゴミスが選ばれたのが驚きであった。
このように若手選手の発掘の機会を3回にわたって設けながら、ドメネク自身がそのチャンスの芽を摘み取ってしまったのである。ドメネク監督のベテラン偏重は今に始まったものではなく、2005年夏には翌年のワールドカップ出場が黄信号となり、ジネディーヌ・ジダン、クロード・マケレレ、リリアン・テュラムを代表に復帰させている。
■重用したベテランが大会後に引退表明
この若手選手の切捨ては選出された23人の選手の中でも行われた。GKは負傷で長期離脱し、復帰後の所属チームのリヨンでは決して調子の良くなかったグレゴリー・クーペを起用し続ける。イタリアのフィオレンチーナで好調だったセバスチャン・フレイ、マルセイユの新星マンダンダは結局ウォーミングアップの機会すらなかった。守備陣はテュラム、ビリー・サニョルに頼り、最終戦ではこの2人をついに見限りながらも、ストッパーのテュラムの代役を本来はサイドDFであるエリック・アビダルに任せたが、先制点を許すファウルを犯してしまった。そして守備的MFのマケレレにはかつてのような運動量はなく、コンビを組むジェレミー・トゥーラランに負担をかける一方であった。また復帰の見込みの薄いパトリック・ビエイラをメンバーに残し、アーセナルでの評価の高いマチュー・フラミニを2回にわたってメンバーから落としている。結局ビエイラは1試合に出場することもなく、大会を終えてしまった。
そして年齢的な衰えからマケレレ、テュラム、ビエイラに加え、サニョルなども代表から引退を表明し、ようやくメンバーが大幅に入れ替わることになった。
■敗退後に不用意な発言をしたドメネク監督に対し、批判が集中
さらに、ドメネク監督は若手を起用しなかったばかりか、自らと確執のある選手を次々と代表から外していった。ロベール・ピレスもその1人である。ピレスはすでに年齢的には35歳になっているが、2004年のドメネク監督就任後はメンバーから外されている。また、30歳のダビッド・トレゼゲはドメネク監督になってからはめっきり試合出場の機会が減り、今年3月のイングランド戦を最後に代表から遠ざかっている。
イタリア戦の試合後、ドメネク監督はインタビューで今後の予定を聞かれ、驚いたことに、現在交際中のスポーツジャーナリストのエステル・ドニとの結婚を表明する。
フランス中はこの敗軍の将の思わぬ発言に激怒し、退陣する声が高まった。次期監督はディディエ・デシャンかローラン・ブランかという議論も沸き起こった。しかしながら、ドメネク監督は辞任せず、任期の2010年まで監督を続けることを表明する。この続投宣言を受けて起こったのはファンだけではない。数少なくなってしまった1998年のワールドカップのメンバーであるトレゼゲは、ショックで代表からの引退を表明したのである。(続く)