第3172回 2024年欧州選手権に向け、好発進(1) 代表監督は続投、サッカー連盟会長は辞任

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■ワールドカップ終了後に続投が決まったディディエ・デシャン監督

 昨年11月から12月にかけてカタールで開催されたワールドカップ、フランスは決勝で同点に追いついたものの、最後はPK戦でアルゼンチンに優勝を譲った。前回大会からの連覇は達成できなかったものの、ディディエ・デシャン監督は続投、長期政権となる。そのデシャン監督の下で、次の目標は2024年に開催される欧州選手権である。
 まずは、デシャン監督の続投をめぐる混乱から紹介しよう。ワールドカップ期間中の準決勝の前後から、デシャンがワールドカップ後も代表監督を続けるという報道がなされた。ワールドカップが終わり、クリスマスムードの中でフランスサッカー連盟のノエル・ルグラエ会長がデシャン監督の続投を表明する。
 問題は年が明けてから起こった。1月7日のフランスサッカー連盟の総会でデシャン監督の続投が承認される。期間は4年、2026年のワールドカップまでとなった。デシャンは2012年に代表監督に就任してから、2014年ワールドカップはベスト8、2016年欧州選手権は準優勝、2018年ワールドカップでは優勝、当初は2020年に開催予定だった2021年欧州選手権はベスト8、そして2022年ワールドカップでは準優勝と安定した戦績を残してきた。ウーゴ・ロリス、スティーブ・マンダンダというベテランGKの引退という不安要素はあるものの、この時点では何も問題になるようなことはなかった。

■フランスサッカー連盟のノエル・ルグラエ会長が辞任

 問題が一気に吹き上げたのはその翌日の1月8日、フランスを代表するラジオ局であるRMCの番組の中でのルグラエ会長の発言である。インタビュアーから「ジネディーヌ・ジダンがブラジル代表監督に就任するという話が来ている。デシャンが契約延長でなければ、ジダンを代表監督として検討したか」という質問に対し、ルグラエ会長は「ジダンとは一度も会っておらず、検討もしていない。好きなクラブの監督をしてもらえばいい。」「ジダンから代表監督をしたいという電話があっても、電話には出ないだろう」という趣旨の回答をした。国民的英雄のジダンに対するこのサッカー連盟会長の発言は炎上した。キリアン・ムバッペなどの選手も、ジダンに対してリスペクトを欠いたルグラエ会長に対する反発をあらわにした。
 この発言に対するフランスサッカー連盟の動きは速かった。ルグラエ会長は謝罪はしたものの、11日には臨時の執行委員会が開催され、監査結果が出るまでの会長の代行をフィリップ・ディアロ副会長が務めることになった。実質的にここで会長を解任されたといってよいだろう。
 この舌禍事件は、さらに波及した。ルグラエ会長はセクハラとモラハラ事件で訴えられた。検察からの調査もあり、結局、ルグラエ会長は実質的な解任、2月28日に正式に辞任を表明した。

■ギャンガンから始まった50年以上のサッカー界との関係

 ルグラエとサッカー界のつながりは長い。今から50年以上前の1972年にギャンガンのクラブの会長に就いた。20年間クラブの会長を務め、1991年にはフランスプロサッカーリーグの会長に就任、その傍らで社会党選出でギャンガン市長を務めていた。当時はマルセイユのベルナール・タピ、バランシエンヌのジャン・ルイ・ボルローのようにサッカー界での実績をもとに政治家になるケースがあり、ルグラエもその1人であった。リーグ会長を辞した後は再びギャンガンのクラブの会長となり、デシャンが代表監督に就任する前年の2011年にサッカー連盟の会長に就任する。様々な功績を残したことは事実であったが、既にすでに81歳という高齢となり、最後は舌禍事件とセクハラ、モラハラでその地位を失うこととなった。

■フィリップ・ディアロ新会長にとって最初の試合となる欧州選手権予選

 デシャン監督はルグラエ会長の辞任とは直接は関係がないが、ルグラエが会長に就任した翌年に代表監督になり、ルグラエ体制下で好成績を残してきた。フランスサッカー連盟の会長は副会長だったディアロが昇格したが、新会長となってから最初の試合は3月下旬の欧州選手権予選である。(続く)

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