第3461回 UEFAネーションズリーグでファイナルラウンドに進出(2) 31年前のイスラエル戦
平成23年東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、台風15号、19号、令和2年7月豪雨、令和6年能登半島地震などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■イスラエル戦で勝利すれば、ファイナルラウンド進出となるフランス
グループリーグの最後を迎えるUEFAネーションズリーグ、グループ2の第4節まで終えた時点の順位を紹介しておこう。首位はイタリアで負けなしの3勝1分で勝ち点10、これを追うフランスは3勝1敗で勝ち点9、3位のベルギーは1勝1分2敗で勝ち点4、最下位のイスラエルは3戦全敗で勝ち点0である。前回の本連載で紹介した通り、フランスは第5節は11月14日にホームのスタッド・ド・フランスでイスラエルと対戦、最終節第6節は17日にアウエーのミラノでイタリア戦となる。第5節のイスラエル戦で勝利すれば、ファイナルラウンド進出が決定する。そして第5節の勝利は最終節でのイタリアとの直接対決での首位攻防戦を意味する。
イスラエルのガザ侵攻の長期化により、イスラエルは国内でのホームゲーム開催が不可能であり、9月からのこの戦いもホームゲームをハンガリーのブダペストで行っていることもあり、苦戦している。10月10日にブダペストで行ったアウエーのイスラエル戦で、フランスは4-1と快勝している。
■1993年秋のワールドカップ米国大会予選で終盤まで首位だったフランス
しかし、オールドファンはワールドカップ米国大会予選のあった1993年秋を忘れてはいない。ジャン・ピエール・パパンとエリック・カントナを擁したフランスは欧州予選のグループ6では順調に勝ち点を重ねていた。残り2試合となった時点でフランスは6勝1分1敗で勝ち点13で首位(当時は勝利の勝ち点は2)、スウェーデンとブルガリアが4勝2分2敗の勝ち点10で並び、得失点差でスウェーデン(+10)が2位、ブルガリア(+5)が3位であった。この当時の欧州予選は2位までに入れば本大会出場となっており、フランスは残り2試合で1勝すれば、本大会出場が決まる。残り2試合はいずれもフランスのホームゲームという組み合わせも恵まれたものであった。
■終了間際に決勝点を許した豪雨のイスラエル戦
残り2試合目は10月13日、フランスはパルク・デ・プランスにイスラエルを迎えた。イスラエルは最も下である第6シードで、ここまで1勝もしておらず、最下位であった。フランスの米国行きはほぼ確実と思われたが、豪雨の中での試合、フランスは先制点を奪われ、前半のうちに逆転したが、終盤の83分に追いつかれ、後半アディショナルタイムに決勝点を奪われ、2-3と敗れて米国行きを決定できなかった。この翌月の11月17日、最終戦でブルガリアにも後半アディショナルタイムに決勝点を奪われて、予選落ちとなる。
ブルガリア戦の敗戦は予選敗退につながったことから、よく知られているが、その前のイスラエル戦の敗戦はそれに比べれば知られていない。
■オスロ合意のあった1993年、ガザ侵攻に批判の高まる2024年
イスラエル戦の敗戦は番狂わせであったが、番狂わせが起こる社会的な要因があった。それはこの1993年8月20日に署名されたオスロ合意である。イスラエルは建国以来、周辺のアラブ諸国との緊張関係が続き、戦火を交えることもあった。ノルウェーの仲介により、首都オスロでイスラエルのイツハク・ラビン大統領とパレスチナ解放機構のヤセル・アラファト議長が、パレスチナ解放機構を暫定自治政府として、イスラエルと相互に承認し、イスラエルは占領した地域から撤退し、暫定自治政府が治める、ということがこのオスロ合意の要点である。そのような歴史的な合意であり、オスロ合意後初めてイスラエルがフランスで試合を行うということで注目の一戦、サッカーの神様ペレもパリに駆け付けた。
今回も、イスラエルは国際政治の注目を集めている。31年前とは逆にガザ侵攻という平和を踏みにじる行動で国際社会から厳しい批判の集まる中、イスラエルのイレブンはパリでの試合に乗り込んできた。イスラエルのスポーツを語るにあたり、古くは1972年のミュンヘンオリンピックの選手村襲撃事件もあり、政治との関係は切り離せない。
残り2試合となってイスラエル戦で勝利すれば予選突破、逆にフランスが連敗すれば、予選敗退の可能性があるというのも31年前と同じ状況なのである。(続く)