第40回 さらば、ヨーロッパ(2) 初冬の陣、ナントの苦戦、ボルドー、パリサンジェルマンの敗退
■ナント、チャンピオンズリーグの二次リーグは連敗スタート
諸聖人祭のバカンスが明ければ、すでに秋も深まり、初冬といったほうがふさわしい。チャンピオンズリーグは二次リーグが始まり、UEFAカップは3回戦が待っている。
チャンピオンズリーグの二次リーグは4チームずつ4つのグループに分かれて11月から3月まで争われ、それぞれのグループリーグの上位2チームが4月からの決勝トーナメントに進出することができる。ナントが所属するグループAはマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)、ボアビスタ(ポルトガル)が所属し、大方はマンチェスター・ユナイテッドとバイエルン・ミュンヘンの決勝トーナメント進出を予想した。まず、11月20日の初戦でナントはボアビスタとアウエーで対戦。上位2チームに入るためにはアウエーでも勝ちたい相手であり、押し気味に試合を進める。しかしながら前半24分に1点を失い、その後、攻め手もなく、大事な初戦を落としてしまった。続く第2戦は12月5日にバイエルン・ミュンヘンを本拠地のボージョワール競技場に迎える。前週に東京でのインターコンチネンタルカップを制したばかりの強豪相手にナントは意地を見せ、ほぼ互角に渡り合う。しかし、試合の均衡が崩れたのは後半に入った65分、1994年ワールドカップ・米国大会の優勝メンバーであるブラジル人のパオロ・セルジオのゴールがボージョワール競技場を沈黙させてしまう。2試合終了し、マンチェスター・ユナイテッドとバイエルン・ミュンヘンが勝ち点4、ボアビスタが勝ち点3に対し、ナントは勝ち点0でしかも無得点、という苦境の中で越年したのである。
■ボルドー、ローダに逆転負けを喫す
一方、完全にノックアウト方式のトーナメントであるUEFAカップの3回戦にはボルドー、パリサンジェルマン、リヨン、リールという4チームが出場し、11月22日に第1戦、12月6日に第2戦がホームアンドアウエー方式で行われた。この中で唯一第1戦をホームのシャバン・デルマス競技場で戦うボルドーの相手はオランダのローダ。シャバン・デルマスとは往年の首相・国民議会議長のジャック・シャバン・デルマスのことであり、第二次世界大戦中レジスタンスのリーダーとして闘い、パリ解放に貢献した。ルネ・クレマン監督の「パリは燃えているか」では、アラン・ドロンがこの若き将軍を演じたことから、日本の皆さんもご存知であろう。
シャバン・デルマスは1947年から1995年までの48年間、ボルドー市長を務めており、2000年11月10日に逝去したが、1周忌を迎えたばかりのボルドーとしてはぜひとも勝ちたい試合である。しかし、スタジアムのピッチの上にクリストフ・デュガリーの姿は見当たらない。本連載の第16回で紹介したとおり11月11日にメルボルンで行われた豪州戦で負傷したためである。この試合ヒーローとなったのはブラジル人のパオロ・ミランダであり、49分に両チームを通じて唯一の得点をあげ、デュガリー不在のボルドーを救ったのである。
しかし、12月6日に行われた第2戦では前半は無失点に押さえたものの、55分にローラン・バトルがペナルティアリア内での故意のハンドで退場。ボルドーのGKはフランス代表にも名を連ねるウルリッヒ・ラメであるがローダは簡単にPKを決めて、ここでトータルスコアは同点となる。ここからはホームが心理的にも有利となり、64分にはガルバ・ラワルが豪快にオーバーヘッドキックで2点目を追加する。ボルドーは追いつけばアウエーゴール2倍ルールで4回戦進出が可能であったが、10人の戦いではいかんともしがたく、欧州の舞台から去ったのである。
■パリサンジェルマン、地元でのPK戦に泣く
パリサンジェルマンはグラスゴーレンジャーズと対戦した。グラスゴーでの第1戦は0-0の引き分け。パリのパルク・デ・プランスでの第2戦も90分を終わって0-0。2試合とも同スコアのため、試合は延長戦に入る。心理的には圧倒的に有利な立場であるパリサンジェルマンであるが、なかなかゴールネットを揺らすことができない。結局30分の延長戦でも両チーム無得点で、試合はPK戦にもつれこむ。両チームのGKは代表メンバーである。グラスゴーレンジャーズはドイツのステファン・クロス、パリサンジェルマンはフランスのリオネル・レティジ。結局グラスゴーレンジャーズが4-3でPK戦を制すが、これはグラスゴーレンジャーズにとって欧州カップにおける初めてのPK戦による勝利であり、1992-93シーズン以来9年ぶりに欧州カップで越年することになったのである。パリサンジェルマンの7月以来の欧州への挑戦は半年で終わったのである。(続く)