第43回 さらば、ヨーロッパ(5) 晩冬の陣、リヨンとリールの敗退、フランス勢に春は来ず
■期待のかかるリヨンとリール
2月27日のオールドトラフォードでのナントの大敗により、フランスのサッカーファンの期待はUEFAカップの4回戦を迎えるリヨンとリールの2チームだけに集中することになった。
昨年暮れのジェルラン競技場でのソニー・アンデルソンのハットトリックの記憶も新しいリヨンはドイツのボルシア・ドルトムントと対戦、イタリアのクラブを撃破したリールはチェコのスロバン・リベレツと対戦することになった。
■リヨン、ホームの第1戦をようやくドローに持ち込む
両チームともまず第1戦はホームで戦うことになり、チャンピオンズリーグでナントがマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)と戦い、ロスタイムに痛恨のPKを与えてしまって「負けに等しい引き分け」となった翌日に第1戦が行われた。まず、先にキックオフされたのはリヨンの試合。相手のスロバン・リベレツは1回戦でスロバキアのスラバン・ブラチスラバ、2回戦でセルタ、3回戦でマジョルカというスペイン勢を下してきている。試合は立ち上がりの14分にリヨンがPKを献上、これを難なく決めてリードを奪われる。リヨンも攻勢に出るがシュートが3回もバーに当たってノーゴール。このままタイムアップかと思われた89分、途中出場のシドネー・ゴブがボレーシュートを決めて同点に持ち込む。勝たなくてはならない試合であったが、ようやく引き分けに持ち込むことができたのである。
■リールもホームで第1戦は引き分け
一方、リールはリヨンがなかなか同点に追いつけず苦しんでいたころの1時間半後にキックオフ。相手のボルシア・ドルトムントはインターコンチネンタルカップを制したこともあり、今回はチャンピオンズリーグの一次リーグで3位となり、UEFAカップに回ってきた。3回戦ではデンマークのFCコペンハーゲンをホーム、アウエーとも1-0で下して4回戦進出。10月以来国内リーグでも無敗であり、リーグの首位を走る。
さらに熱狂的なファンが有名であり、リールとしてはホームの第1戦で点差をつけて勝ちたいところである。しかし、先制点は67分のボルシア・ドルトムント。追うリールはその5分後、モロッコ代表のサラエディン・バシールがハーフボレーを決めて同点に追いつく。その後は両チームとも得点することはできず、リヨンもリールもホームの第1戦は引き分けに持ち込むのが精一杯であった。
■リヨン、スロバン・リベレツにプラハで大敗
そして、マンチェスターのオールドトラフォードでのナントの大敗とチャンピオンズリーグからの敗退の翌々日の2月28日、両チームは敵地でベスト8入りをかけて戦うことになった。
まず先にリヨンとスロバン・リベレツの試合が17時30分にキックオフされた。実はこの試合はスロバン・リベレツにとってもアウエーゲームとなった。スロバン・リベレツはドイツ、ポーランド国境に近くの10万人の都市であるが、ホームスタジアムの状態が十分ではないと判断されて、車で約一時間かかるスパルタ・プラハの本拠地のレトナ競技場でホームゲームを行うことになったのである。スロバン・リベレツの年間予算はリヨンの50分の1、そのような小さなクラブがUEFAカップで強豪を連破し、4回戦に進出したことは驚きである。試合当日はリベレツの町からバスで応援団が駆けつけたが、レトナ競技場の観衆は1万人に届かない。この試合の先制点は立ち上がりの1分、セルタ戦でも活躍したジャン・ネズマーである。これに対してリヨンもパトリック・ミューレルのゴールで17分に追いつく。これでスコアは1-1、第1戦と同じスコアになる。試合はそのまま展開し、残り15分、両チーム追加点がないならば延長、と思われた76分、スロバン・リベレツのジリ・スタイナーが均衡を破る。この得点でリヨンは集中力を失ったのか、81分にはネズマー、85分にはロバート・ノイマンと失点を重ね、試合終了の笛がなった時にはスコアは1-4と完敗。スロバン・リベレツが準々決勝に進んだのである。
■リール、スコアレスドローでフランスの望みは消える
リヨンが大量失点を喫して試合が終了した1時間後の20時30分に、黄色と黒のカラーに染まったドルトムントのウェストハーレン競技場でフランス勢の最後の望みとなったリールの試合が始まった。第1戦は1-1の引き分けだったため、リールは勝つか、引き分けの場合は2点以上の得点が必要となる。少なくともリールには得点が必要である。しかし、スタジアムの雰囲気とは反対にゴールシーンは生まれない。前半試合を支配したドルトムントは前半終了間際にチャンスを得るが、得点には至らない。後半は得点を取ることが必須というリールが攻勢に出るが、結局はスコアレスドロー。アウエーゴール2倍ルールでリールは欧州への道が閉ざされた。
そして、3月になるまであと3時間半、というところでフランスのクラブには春が訪れなかったのである。(この項、終わり)