第270回 欧州チャンピオンズリーグ・グループリーグ(4) ジダン、名誉のブーイング
■第4節終了時でトップのリヨン、モナコ、3位のマルセイユ
欧州チャンピオンズリーグの分水嶺とも言えるグループリーグの第3節と第4節を終えた時点で、フランス勢の成績はリヨンとモナコが首位に立ち、マルセイユは3位につけている。
リヨンが首位に立っているグループAは混戦模様で、首位リヨンから勝ち点が1点きざみでセルチック、バイエルン・ミュンヘン、アンデルレヒトと続いており、予断は許さない。モナコが首位を奪還したグループCはモナコが勝ち点9、首位から陥落したラコルーニャが勝ち点7、PSVアイントホーヘンは第3節と第4節でAEKアテネに連勝して勝ち点6、第1戦で引き分けて以来3連敗のAEKアテネは勝ち点1にとどまっている。そしてマルセイユの所属するグループFはレアル・マドリッドが勝ち点10で独走し、早々と決勝トーナメント進出を決め、マルセイユに連勝したポルトが勝ち点7で続き、マルセイユが勝ち点3、パルチザン・ベオグラードが勝ち点2となっている。
■打倒レアル・マドリッドに燃えるマルセイユ
マルセイユは第5節をホームでレアル・マドリッド、第6節をアウエーでパルチザン・ベオグラードという日程になっている。グループ2位に入って決勝トーナメントを目指したいが、悪くともグループ3位でUEFAカップに転戦し、欧州への夢を越年させたいところである。グループ2位に入るためには白い巨人レアル・マドリッドをホームで倒さなければ望み薄となる。
マルセイユのこのレアル・マドリッド戦にかける意気込みは並々ならぬものがある。フランスから出場したリヨンとモナコが順調に勝ち点を積み上げているのに対し、マルセイユだけ決勝トーナメント進出を逃し、さらにUEFAカップへも出場できないような事態が起これば、フランス・サッカーの都、マルセイユのプライドが許さない。そしてわずか10年前にはレアル・マドリッドをマルセイユの宿敵パリサンジェルマンは2年連続して欧州三大カップでレアル・マドリッドを倒しており、いくら相手がドリームチームとは言ってもマルセイユは負けることは許されないのである。
■サッカーの都の生んだ最高の選手、ジネディーヌ・ジダン
白い巨人にはラウル、ロナウド、フィーゴ、デビッド・ベッカム、ロベルト・カルロスとビッグネームが並んでいるが、マルセイユファンにとって一番大きな存在はジネディーヌ・ジダンである。ジダンはマルセイユ出身である。世界的なスター選手となったジダンはこのフランスのサッカーの都にアルジェリア移民の子供として生まれ、大きく成長した。ベロドロームでボールボーイを務めた1984年の欧州選手権準決勝がその後のジダンの人生に大きく影響したことは有名である。プロ選手としてはマルセイユのユニフォームを着ることはなく、カンヌ、ボルドーと国内でキャリアを積み、その後はユベントス、レアル・マドリッドと世界の頂点に立つような国外のクラブで活躍している。マルセイユ出身のサッカー選手といえばジダンとは格が違うが、エリック・カントナ、フランク・ルブッフを連想されるだろう。彼らはいくつものチームに所属しているが、全盛期にはマルセイユのユニフォームを着ている。これはサッカーの都の魔力であろう。しかしながら、ジダンはマルセイユにユニフォームをいまだ着ておらず、円熟期を迎えつつある。
■10年ぶりのマルセイユ戦、ブーイングにプレーで返礼
そのジダンが11月26日の夜、マルセイユに戻ってきた。もちろんジダンはフランス代表の一員としてマルセイユでしばしば試合を行っているが、敵としてベロドロームの芝を踏むのは不思議なことにこれまで2度しかなく、カンヌ時代の1990年9月14日、ボルドー時代の1993年9月18日だけである。それ以来実に10年ぶりにジダンが戻ってきた。
試合前のレアル・マドリッドの選手紹介がブーイングの中で行われ、ジダンの番が回ってきた。マルセイユの生んだ最高の選手にも同様に容赦ないブーイングで浴びせられた。試合はベッカムの先制点で優位に立ったレアル・マドリッドが2-1とマルセイユを下した。ジダンもまずまずの動きを見せ、ブーイングに対し、プレーで全力を尽くすことで返礼した。ジダンの活躍によってマルセイユは決勝トーナメントへの道を断たれたわけであるが、ジダンは試合終了後「マルセイユが最終戦でパルチザン・ベオグラードを倒してUEFAカップに出場することを期待する」というメッセージを残し、故郷を離れた。ジダンがこの町を次に訪れるのはいつのことであろうか、そして故郷のチームのユニフォームを着る日は来るのであろうか。(続く)