第825回 欧州カップ、8強への道(3) 猛攻のマルセイユ、3点どまりで終盤にアウエーゴールを献上

■フランス勢最後の希望となったマルセイユ

 3月4日のマンチェスターのオールドトラフォードでのリヨンの敗戦によって、フランス勢は今年もチャンピオンズリーグの8強に残ることができなかった。すでに第823回の本連載で紹介している通り、ボルドーもUEFAカップの決勝トーナメント1回戦で姿を消しているため、欧州カップに参戦しているフランス勢で残る希望はマルセイユだけとなった。
 ボルドーとアンデルレヒトの戦いを紹介した際にローラン・ルノーとピエール・カルパンティエについて紹介し、カルパンティエに一日の長があったわけであるが、熱心な読者の皆様からカルパンティエとルノーの中間に位置するジャン・シャルル・クルーアンについての問い合わせがあった。ルノー時代になってからは姿を隠していた印象のあるクルーアンであるが、その実力は欧州の財界の重鎮ですら一目をおく存在であり、一九に久しぶりに姿を現した際の神々しさはこの新春のハイライトであると言えよう。

■2年前に敗れたゼニト・サンクトペテルブルクと対戦

 そのクルーアンが公式の場に久しぶりに姿を現したのと同期を取るかのように、マルセイユがUEFAカップの2回戦(ベスト8決定戦)に進出した。UEFAカップは1回戦が2月13日と21日、2回戦が3月6日と12日、と1回戦と2回戦の間の日程が不十分であるため、あらかじめ2回戦までの組み合わせが決まっている。マルセイユは2回戦ではゼニト・サンクトペテルブルク(ロシア)とビジャレアル(スペイン)の勝者と対戦することになっており、両者の対戦は1勝1敗であったが、アウエーゴールルールによりゼニト・サンクトペテルブルクが勝ち抜いてきた。本連載の読者の皆様ならばご記憶であろうが、マルセイユとゼニト・サンクトペテルブルクは2005-06シーズンのUEFAカップのベスト8決定戦でも対戦しているのである。2年前はホームでマルセイユが0-1と敗れ、アウエーでも同点どまりでマルセイユはベスト8への道を断たれている。
 前々回の本連載でも紹介したとおり、マルセイユはロシア勢を得意としており、1回戦ではスパルターク・モスクワを下しているだけではなく、ロシア勢とは1990-91シーズンのチャンピオンズカップの準決勝のスパルターク・モスクワ、1992-93シーズンのチャンピオンズリーグのグループリーグのCSKAモスクワ、2005-06シーズンのUEFAカップのグループリーグのCSKAモスクワと下しており、唯一ロシア勢に勝ちを譲ったのが2年前のゼニト・サンクトペテルブルクとの戦いである。

■主将ジブリル・シセが大活躍、ママドゥ・ニアンも得点をあげる

 第1戦はマルセイユの本拠地ベロドロームに2万5000人の観衆を集めて行われた。マルセイユは主将のロリック・カナを累積警告で欠き、代わりにキャプテンマークを着用したのはジブリル・シセであった。試合開始直後からマルセイユが試合を支配する。そして主将シセが大活躍し、ゼニト・サンクトペテルブルクのゴールを襲う。29分のママドゥ・ニアンのシュートはクロスバーを直撃するなど、なかなかゴールネットを揺らすことができなかったマルセイユであるが、37分にシセが先制点を奪う。さらにマルセイユは攻撃の手を緩めず、前半終了間際にもニアンがシュートを放つが再びクロスバーに阻まれる。
 後半に入って48分にそのニアンがようやく得点を決めた。ゴール隅にシュートが決まり、2-0とリードを広げる。そして55分にはこの日大活躍のシセが角度のないところからゴールを決めて、3-0となり、1回戦の第1戦と同じスコアになる。その後もマルセイユの猛攻はとどまらないが、ゼニト・サンクトペテルブルクのGKビアチェスラフ・マラフェエフのスーパーセーブでマルセイユは追加点を奪うことができない。

■終盤にアウエーゴールを献上したマルセイユ

 逆に82分にはゼニト・サンクトペテルブルクのアンドレイ・アルシャフインが左サイドを突破し、見事なゴールを上げ、2点差に迫る。88分にもアルシャフインは得点のチャンスを得るが、これはゴールにいたらず、ベロドロームは安堵する。ロスタイムにマルセイユはCKの好機をつかむが得点差を広げることはできず、結局3-1という2点差の勝利にとどまった。マルセイユは、大量点のチャンスはあったものの、3点しか得点を奪うことができず、試合終盤にアウエーゴールを許し、サンクトペテルブルクに乗り込むのである。(続く)

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