第1078回 ヨーロッパリーグ2回戦(2) マルセイユ、因縁のベンフィカと20年ぶりに対戦
■ハンドで明暗の分かれたマルセイユとベンフィカ
昨年のワールドカップ予選のプレーオフではティエリー・アンリのハンドにより、南アフリカ行きを決めたフランスであるが、20年前のチャンピオンズカップの準決勝ではマルセイユが決勝進出をベンフィカ(ポルトガル)のバータのあからさまなハンドによって奪われた苦い経験がある。マルセイユのファンはアンリのハンドで得たワールドカップ獲得を素直に喜ぶことができないであろう。もしもあのプレーオフ第2戦がフランスのサッカーの都であるマルセイユで行われていたならば、その後の展開は随分と変わっていたであろう。
■準優勝に終わったベンフィカ、翌年の準優勝はマルセイユ
ハンドで明暗が分かれたマルセイユとベンフィカであるが、その後は逆に似た道を歩むことになる。
20年前に話を戻すとベンフィカはウィーンでの決勝に進出する。もう1つの準決勝はACミラン(イタリア)とバイエルン・ミュンヘン(西ドイツ)の間で争われ、ACミランが決勝に進出している。このイタリアのビッグクラブとの対戦を楽しみにしていたマルセイユのイレブンにとっては本当に悔やまれる。決勝に進出したベンフィカは2年ぶりの決勝進出であり、1960-61シーズンと1961-62シーズンの連覇以来の28年ぶりの優勝を目指したが、ACミランの敵ではなかった。スコアこそフランク・ライカールトのゴールによる0-1であったが、完敗という内容であった。
その翌年はマルセイユはACミランを準々決勝で破り、決勝に進出する。決勝の相手はユーゴスラビアのベオグラード・レッドスター、マルセイユは一方的に攻め続けるがゴールを奪うことはできず、延長戦でのノースコア、PK戦では試合中にほとんどボールを触ることのなかったマルセイユのGKパスカル・オルメタが相手のゴールを防ぐことができず、準優勝にとどまる。ベンフィカが準優勝に終わり、その翌年はマルセイユが準優勝に終わる。同じ準優勝でもそこまでの道のり、決勝での戦いぶりに相当の差はあるが、シルバーメダルであることは事実である。
■1990年代半ば以降は低迷したマルセイユとベンフィカ
その違いを見せたかったマルセイユは次のシーズン、すなわち1992-93シーズンではついにACミランと決勝戦を争うことになる。のちに日本で活躍することになるバジル・ボリの乾坤一擲のヘディングシュートでついにマルセイユは欧州制覇、ベンフィカに遅れること30年で欧州の頂点に立ったかに見えたが、八百長疑惑でタイトルを剥奪される。そればかりか国内では2部に落とされ苦難の道を歩む。1部に復帰はしたものの、実に1992-93シーズンを最後に国内外のあらゆるタイトルから見放されている。
一方のベンフィカであるが、1946-47シーズン以降リーグチャンピオンはベンフィカ、ポルト、スポルティング・リスボンの3つのチームが独占し、1980年代はベンフィカとポルトの二強時代であった。ベンフィカが欧州のナンバー2となった1989-90シーズンも、国内リーグではポルトにタイトルを奪われている。そしてこの二強時代もマルセイユの凋落と同一の軌道に乗ってしまったかのように崩れてしまう。マルセイユの5連覇が途絶えた1993-94シーズンでベンフィカが優勝したのを最後に国内はポルトの独壇場となる。ベンフィカはその後長いトンネルに入り、財政面の問題もあり、優勝から見放され、2000-01シーズンにはクラブ史上最悪の6位という成績を記録してしまったのである。そして長いトンネルをようやく抜け出したのが2004-05シーズンであり、ようやく11年ぶりのリーグ制覇を遂げたのである。
■一歩先に復活を遂げたベンフィカと初代王座を目指すマルセイユが対決
このように1990年代に隆盛を誇ったチームでその後低迷したチームとしては政治に左右された東欧のケースを除くとマルセイユとベンフィカが代表的であろう。一歩先にベンフィカが復活を果たしたが、マルセイユも近年はリーグ戦で上位に入り、復活の兆しはある。20年前の因縁のハンドから始まる不運のチームが生まれ変わるためには、ベンフィカを倒して勝ち進み、初代のヨーロッパリーグのチャンピオンとなりたいところであろう。
そのマルセイユのファンの期待通り、ベンフィカはアウエーの第1戦でヘルタ・ベルリンと1-1で引き分け、リスボンの第2戦では4-0と大勝し、2回戦に進出する。20年ぶりの対戦が実現したのである。(続く)