第1088回 リヨンとボルドー、準々決勝で対戦(2) 沼田義明-小林弘戦を思わせるフランス国内の盛り上がり
■珍しくはないアジアチャンピオンズリーグでの日本勢対決
リヨンとボルドーと言うフランス勢同士の対決で盛り上がりを見せるチャンピオンズリーグの準々決勝であるが、日本の皆様にとっては、驚きはそれほど感じられないであろう。昨シーズンのアジアチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦でガンバ大阪と川崎フロンターレが対戦し、準々決勝では川崎フロンターレと名古屋グランパスが対戦している。そしてその前年の2008年には準決勝でガンバ大阪と浦和レッドダイヤモンズが対戦をしており、アジアチャンピオンズリーグでの日本勢同士の対戦は珍しいことではない。
■初の日本勢対決となった1996年のアジアカップウィナーズカップ準決勝
むしろ、アジアチャンピオンズリーグの前身である大会での日本勢対決の方が今回のフランス国内の熱気をご理解いただけよう。各国リーグのカップ戦の勝者が集うアジアカップウィナーズカップの1996年大会のことである。この大会は1990-91シーズンに始まり、2001-02シーズンまでの12回開催されたが、日本勢とサウジアラビア勢が圧倒的に強く、日本勢が参加しなかった最初の大会でイランのペルセポリスが優勝したが、第2回大会以降はサウジアラビア勢が6回、日本勢が5回優勝している。
1994-95年大会は日本の横浜フリューゲルスが優勝し、タイトルホルダーとして翌年の大会に出場した。1995-96シーズンの大会は1996年元旦にセレッソ大阪を破ったベルマーレ平塚と横浜フリューゲルスの2チームが日本から出場した。広大なアジアを東西に分けてホームアンドアウエー方式で東西から2チームずつが決勝トーナメントに勝ち残った。東アジアから勝ち残ったのが奇しくも日本勢のベルマーレ平塚と横浜フリューゲルスであり、1996年の年の瀬に平塚と横浜で決勝トーナメントが行われた。準決勝2試合が12月25日に平塚で行われ、日本勢対決となった。東海道五十三次では現在の横浜に相当する神奈川宿から4つ目の宿場町が平塚である。横浜と平塚と言うきわめて近い都市のチームの対決となり、これは昨今のイングランド勢のチャンピオンズリーグでの対戦でもないことである。
■伝説の試合となったベルマーレ平塚-横浜フリューゲルス戦
平塚の陸上競技場には年末の多忙な時期であるにもかかわらず、1,500人を越える観衆が集まった。当時Jリーグがスタートして4年目のことであり、黎明期のJリーグにおいてこの観客数は尋常ならざるものを感じさせる。そしてこの観衆の期待に応え、試合はゴールの応酬となる。90分を終わった段階で3-3、延長戦で決勝進出を争うことになった。延長戦でベルマーレ平塚のエメルソンがこの試合で4点目となるゴールを決めて勝利し、国際試合での日本勢同士の初めての対戦は、日本のサッカーファンの間で長く語り継がれる伝説的な試合になっているであろう。
ベルマーレ平塚は翌々日に横浜フリューゲルスの本拠地である三ツ沢競技場で行われたイラクのアル・タラバ戦で勝利し、優勝している。この時の表彰式でベルマーレ平塚の選手の態度が悪く、横浜のファンから非難を浴びたことは残念であった。
■日本人の記憶に永遠に残る沼田義明-小林弘戦
ただし、日本のスポーツファンの間では日本人対決、日本勢対決と言うと、この試合を真っ先に思い出すであろう。それは1967年12月14日に蔵前国技館で行われたWBA・WBC世界ジュニアライト級のチャンピオン・沼田義明と挑戦者・小林弘による史上初の日本人同士のタイトルマッチである。「精密機械」と呼ばれた沼田はこの年の6月にフィリピンのガブリエル・フラッシュ・エロルデを15回判定で破り、世界王座に就いた。沼田は初の防衛戦であったが、海外遠征で力をつけた「雑草の男」小林は6回にダウンを奪い、12回に沼田をKOし、初の世界挑戦でタイトルを手にしている。
この時はまさに日本を二分する熱狂であった。この沼田-小林戦と比較すると、ベルマーレ平塚-横浜フリューゲルス戦や近年のアジアチャンピオンズリーグの日本勢同士の試合があせて見えるのはやむを得ないであろう。
そして43年前の沼田-小林戦にも似た熱気がフランス全土を覆っている中で試合はキックオフされるのである。(続く)