第1091回 リヨン、初めての準決勝(1) 準決勝の相手は激戦を制したバイエルン・ミュンヘン
■優勝候補のインテル・ミラノとバルセロナが4強入り
チャンピオンズリーグにフランスから複数のチームが出場できるようになってから10年になる。この歴史の中で初めてのフランス勢同士の戦いを勝ち抜いたのはリヨンであった。リヨンは、7連覇していたリーグチャンピオンの座をボルドーによって引きずりおろされたが、そのボルドーを下しての準決勝進出となった。またリヨンは国内では圧倒的な強さを誇り、チャンピオンズリーグで戦うに足るだけの選手層の厚さがあったが、これまでの準々決勝に3回進出したのが最高の成績であり、いずれも敗れていた。国内リーグチャンピオンの呪縛から逃れたリヨンにとってチャンスのシーズンなのかもしれない。
さて、他の準々決勝の結果であるが、インテル・ミラノ(イタリア)とCSKAモスクワ(ロシア)はインテル・ミラノが2試合とも1-0で勝利した。アーセナル(イングランド)とバルセロナ(スペイン)はロンドンでの第1戦は2-2のドロー、バルセロナで行われた第2戦ではバルセロナのリオネル・メッシが4ゴールを上げる活躍で4-1と勝利し、優勝候補がそろって4強入りした。
■準々決勝で注目を集めたマンチェスター・ユナイテッド-バイエルン・ミュンヘン戦
そしてマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)とバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)は大熱戦となった。マンチェスター・ユナイテッドにとってミュンヘンは特別な場所である。1957-58シーズンにイングランド代表として初めてチャンピオンズカップに出場したマンチェスター・ユナイテッドは、ユーゴスラビアのレッドスター・ベオグラードと準々決勝で対戦する。ベオグラードでアウエーの試合を終え、準決勝進出を確定し、帰路に着く。当時はベオグラードからマンチェスターまでノンストップでフライトができる飛行機はなく、途中給油のためミュンヘンに立ち寄る。このミュンヘンでの給油を終え、離陸を失敗し、選手8人が死亡するという痛ましい「ミュンヘンの悲劇」が1958年2月6日に起こったのである。
■バイエルン・ミュンヘン、アリエン・ロッベンの活躍で4強入り
そのようなミュンヘンと準々決勝を戦うことはマンチェスター・ユナイテッドにとっては特別な試合である。第1戦はそのミュンヘンで行われ、バイエルン・ミュンヘンが2-1で先勝する。
そして第2戦はボルドー-リヨン戦と同じ4月7日に行われた。地元オールドトラフォードでの試合、マンチェスター・ユナイテッドは4分、7分と開始早々にゴールを決め、さらに41分に3点目を決めて3-0と大きくリードを広げた。この時点で2試合通算得点は4-2であり、マンチェスター・ユナイテッドの楽勝かと思われたが、ところが、マンチェスター・ユナイテッドは金縛りにあったような状態に陥り、バイエルン・ミュンヘンに一方的に試合を支配される。
バイエルン・ミュンヘンは敵地で絶望的なスコアになったが、43分にクロアチア代表で2002年のワールドカップでの訪日経験もあるイビチャ・オリッチが1点を返し、ハーフタイムを迎える。そして後半に入って74分にフランス代表のフランク・リベリーのCKをオランダ代表のアリエン・ロッベンがボレーシュート、オランダ代表の先輩にあたるエドウィン・ファン・デル・サールの守るゴールを破る。
これで両チームは2試合通算スコアで並び、アウエーゴールの多いバイエルン・ミュンヘンが優位にたち、バイエルン・ミュンヘンはこのリードを守りきって準決勝に進出したのである。ロッベンは決勝トーナメント1回戦のフィオレンチーナ(イタリア)との第2戦に続く、殊勲の決勝ゴールである。
■リヨンはバイエルン・ミュンヘンと対戦
イングランド勢はこれで姿を消し、イングランド勢が準決勝に姿を現さないのは実に5年ぶりのことである。
そして準決勝であるが、リヨンはこのバイエルン・ミュンヘンと対戦することになったのである。リヨンとバイエルン・ミュンヘンはこれまでに3回(6試合)チャンピオンズリーグで対戦しており、対戦成績は2勝2分2敗とまったく互角である。実に興味深い準決勝の組み合わせになったのである。(続く)