第1378回 マルセイユ、4強ならず(1) マルセイユが欧州の頂点に輝いた街、ミュンヘン
昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■チャンピオンズリーグ最初の決勝戦はマルセイユ-ACミラン
チャンピオンズリーグで19年ぶりの8強入りを果たしたマルセイユ、準々決勝の相手はドイツの名門、バイエルン・ミュンヘンである。マルセイユにとってミュンヘンというと忘れられないのは19年前のチャンピオンズリーグ決勝戦である。
本連載でもたびたび紹介しているが、1992-93シーズンのチャンピオンズリーグ、この年から大会名称がチャンピオンズカップから変更され、1回戦、2回戦を勝ち抜いた8チームが4チームずつのグループリーグを行い、その首位チームが決勝戦を戦う形式であった。グループAのマルセイユはグラスゴー・レンジャース(スコットランド)、クラブ・ブルージュ(ベルギー)、CSKAモスクワ(ロシア)相手に苦戦し、2位グラスゴー・レンジャースと勝ち点1差で決勝に進出する。決勝戦の相手は1990年代の終わりから覇権を競ってきたライバル、イタリアのACミランである。ACミランはグループBで6戦全勝、失点わずかに1と抜群の強さを誇った。ACミランとマルセイユは1990-91シーズンの準決勝で顔を合わせているが、マルセイユがACミランを下している。しかしながらマルセイユは決勝戦でレッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア)にPK戦の末敗れている。そのマルセイユにとってようやくACミランとの決戦の機会が巡ってきた。
■ビッグイヤーを高々と掲げたディディエ・デシャン
この決勝戦は1993年5月26日、ミュンヘンのオリンピック競技場で行われた。緊迫したムードの中で行われた試合、マルセイユは前半終了間際のバジル・ボリのヘッドによるゴールで1-0と勝利し、フランス勢にとって初めての欧州チャンピオンになったのである。そしてそのミュンヘンの栄光の中でビッグイヤーといわれる優勝カップを高々と掲げたマルセイユの主将は、現在はマルセイユの監督を務めるディディエ・デシャンである。
■ドイツを代表する名門クラブ、バイエルン・ミュンヘン
その思い出の地、ミュンヘンのビッグクラブ、バイエルン・ミュンヘン、1970年代にフランツ・ベッケンバウアーを擁して3年連続でチャンピオンズリーグの前身であるチャンピオンズカップを制したが、2001年にもチャンピオンズリーグで優勝し、これまでに4度の欧州王者となっている名門チームである。さらにカップウィナーズカップ、UEFAカップも獲得しており、数少ない欧州三冠チームである。
近年も安定した成績を残し、今世紀に入ってからは2年連続してブンデスリーガで2年連続して優勝を逃したことはなく、欧州の舞台でもチャンピオンズリーグとなってから過去20年間で今季が11回目の準々決勝進出である。
■バイエルン・ミュンヘンで活躍したフランス人選手たち
そしてバイエルン・ミュンヘンの主力がフランク・リベリーである。2007年からこのチームの顔として活躍してきたフランス代表の中核選手であるが、それまではマルセイユに所属していた。バイエルン・ミュンヘンへの移籍初年には大活躍し、リーグとカップの二冠を制し、ブンデスリーガの最優秀選手に選出されている。
また過去にも、このドイツを代表する名門チームにはビシャンテ・リザラズ、ジャン・ピエール・パパンというフランス代表として活躍した名選手が所属したことがある。特にパパンは1980年代後半から1990年代初めにかけてマルセイユのゴールゲッターとして活躍した名選手であるが、1992年にライバルのACミランに移籍している。ACミランでも活躍し、リーグ優勝に貢献しているが、1993年にミュンヘンでマルセイユとACミランが欧州の頂点を争った試合では1点を追う後半の55分にロベルト・ドナドーニに代わって背番号16をつけて交代出場したが、これといった見せ場を作ることなく、古巣の欧州初制覇を悔しい思いで祝福するしかなかった。ACミランでは十分な出場機会が与えられなかったパパンは1994年から2年間、バイエルン・ミュンヘンでプレーしたが、けがもあってさらに出場機会は少なかった。
このようにマルセイユにとってミュンヘンという都市は特別な存在であるが、不思議なことにこの両チームはこれが欧州カップでは対戦したことがないのである。(続く)