第1623回 チャンピオンズリーグ グループリーグ中盤戦(3) パリサンジェルマン、マルセイユに逆転勝利

 一昨年3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■第2節の直後にマルセイユ-パリサンジェルマン戦

 10月1日と2日に行われたチャンピオンズリーグのグループリーグの第2節でも第1節に引き続き、マルセイユは黒星、パリサンジェルマンは白星とフランスを代表する両チームは対照的な結果となった。そしてマルセイユとパリサンジェルマンは10月6日のフランスリーグ第9節で対戦する。
 第8節が終了した段階でのフランスリーグの順位は首位モナコで勝ち点18、得失点差+10、2位は同じく勝ち点18のパリサンジェルマンで得失点差は+8、そして3位は勝ち点17のマルセイユで得失点差は+7である。もちろんリーグ優勝が各クラブの目標であるが、2位、3位チームにはチャンピオンズリーグ出場という大きなチケットが渡される。しかし、前回の本連載で紹介した通り、フランスリーグはUEFAインデックスでポルトガルに抜かれて6番目のリーグとなったため、3位チームは今季のリヨンのように予備戦の3回戦、プレーオフを勝ち抜かないとグループリーグに出場することができなくなった。

■ライバルチームが1位と2位を占めた昨季

 そしてリーグのタイトルやチャンピオンズリーグの出場権も大きな関心事であるが、両チームにとっては負けられない相手である。1970年代に誕生したパリサンジェルマンと19世紀からの歴史を誇るマルセイユがライバルチームというのも不思議な気がするが、両チームがフランスを代表するチームになったのは1980年代の後半からのことであろう。1980年代末から1990年代初めまでのマルセイユの黄金期に6連覇をストップしたのはパリサンジェルマンであったが、マルセイユが八百長事件で2部降格、ライバルを失ったパリサンジェルマンはカップ戦ではしばしばタイトルを獲得するが、リーグ戦優勝から遠ざかった。今世紀に入るとリヨンの黄金時代が続き、リヨンの7連覇の後は再び群雄割拠となる。一足早くリーグチャンピオンになったのはマルセイユであり、2009-10シーズンに18年ぶりの優勝(1992-93シーズンの優勝は八百長事件のため剥奪)を飾る。そしてパリサンジェルマンも2012-13シーズンに19年ぶりの優勝を飾り、このシーズンは2位がマルセイユとなり、実にライバルチームが1位と2位を占めるのもパリサンジェルマンの前回優勝時以来のことで史上3回目のことである。

■昨年のドローの立役者のアンドレ・ピエール・ジニャックはベンチスタート

 このようにクラッシックの名にふさわしい戦いとなった今年のマルセイユでの対戦であるが、1990年前後に両チームがしのぎを削っていたころはマルセイユの方が圧倒的な資金力を誇っていたが、現在は逆転し、マルセイユの年間予算はパリサンジェルマンの3割程度である。資金力が欧州での戦いに結果に表れていると言えば簡単だが、リーグ戦では意地を見せたいマルセイユである。
 パリサンジェルマンはベンフィカ戦とほぼ同じメンバーだが、マルセイユは1トップをジョルダン・アユーかアンドレ・ピエール・ジニャックか、悩むところである。ジニャックは9月21日のバスティア戦で足の親指を負傷しており、以来ピッチから離れている。本連載の第1466回で紹介した通り、昨季のこの対戦で2得点をあげてドローに持ち込んだのはほかならぬジニャックであるが、結局ジョルダン・アユーが先発した。

■劣勢のパリサンジェルマン、逆転勝利を飾る

 マルセイユはボール保持率、CK数、シュート数でパリサンジェルマンを上回るが、ジョルダン・アユーはこれといった動きができずに、67分にジニャックと交代する。しかし、この交代は遅すぎた。この試合のキープレーヤーとなったのはジョルダン・アユーの実兄のアンドレ・アユー、34分にはマチュー・バルブエナへのファウルで得たPKを決めて先制する。パリサンジェルマンは前半終了間際の45分に右サイドDFのグレゴリー・バンデルビールからのパスを左サイドDFのマクスウェルがシュート、同点に追いつく。
 そして後半に入り66分にアンドレ・アユーがペナルティエリア内でマルキーニョスを倒してしまい、PK献上。ズラタン・イブラヒモビッチが決めて、パリサンジェルマンが2-1と逆転勝ち。チャンピオンズリーグでの勢いがそのまま表れたのである。(続く)

このページのTOPへ