第1845回 フランス勢、準々決勝で沈む (2) シュート数で上回ったモナコ、アウエーでユベントスに惜敗

 4年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■多くのフランス人選手が所属したユベントス

 チャンピオンズリーグの準々決勝は第1戦が4月14日と15日に行われ、14日にはモナコがユベントス(イタリア)とアウエーで戦い、15日にはパリサンジェルマンがバルセロナ(スペイン)を迎える。
 今大会でイタリア勢として唯一の8強入りを果たしたユベントスは、パトリス・エブラとポール・ポグバという2人おフランス代表選手を抱える。ポグバは右足の負傷のため欠場となるが、エブラは左サイドDFとして出場する。ユベントスは伝統的にフランス人選手が多く在籍したチームである。古くはミッシェル・プラティニから始まり、ディディエ・デシャン、ジネディーヌ・ジダン、リリアン・テュラム、パトリック・ビエイラ、ダビッド・トレゼゲ、ティエリー・アンリと1990年代後半から2000年代初めにかけてのフランスサッカーを支えたスター選手たちがこのトリノの名門チームに所属する。
 2006年には不祥事を起こし、クラブ史上初めて2部に相当するセリエBへの降格を余儀なくされたが、このセリエBからのセリエAへの復帰を監督として導いたのが、デシャンであった。

■フランス勢を得意とするユベントス、イタリア勢を苦手とするモナコ

 ユベントスはフランス勢との対戦を得意としており、ノックアウト方式においてこれまでフランスのクラブと11回対戦しているが、その11回すべてでフランスのクラブを下している。グループリーグにおいて2009-10シーズンのチャンピオンズリーグでボルドーが1勝1分と勝ち越したことがあるだけである。
 一方のモナコ、イタリア勢とはこれまでノックアウト方式で6回対戦しているが、モナコが勝ち抜いたのはわずかに1度、1991-92シーズンのカップウィナーズカップの準決勝のASローマ戦だけである。モナコがイタリア勢と対戦するのはユベントスとの唯一の対戦である1997-98シーズンのチャンピオンズリーグ準決勝以来、実に17年ぶりのこととなる。

■カウンター攻撃からユベントスのゴールを襲うモナコ

 さて、黒と白の縦縞のファーストユニフォームのユベントスに対し、アウエーのモナコは青いユニフォームでイタリアの名門に挑む。立ち上がりからボールを支配したのはユベントスである。ほぼ2月ぶりの出場となるアンドレアス・ピルロが軸となって6割のボール支配率でゲームを優勢に進めるが、得点機を作ったのはモナコであった。ヤニック・フェレイラ・カラスコの2度にわたるシュートはいずれもユベントスが誇る守護神のジャンルイジ・ブッフォンの好セーブに会い、得点を奪うことができない。
 前半終了間際にはユベントスはテベスからのパスを受けたアルツーロ・ビダルがモナコのGKのダニエル・スパシッチと1対1になるが、ビダルはシュートを枠の外にはずしてしまう。
 後半に入っても得点チャンスはカウンター攻撃にかけるモナコに訪れる。ユベントスのCKをキャッチしたGKのスパシッチは素早く前方のフェレイラ・カラスコへフィード、フェレイラ・カラスコはベルナルド・シウバにパスを通し、チャンスが到来したが、シウバのシュートはまたもブッフォンがセーブしてゴールの枠の外へはじき出される。

■モナコ、PKの1点に泣く

 モナコのカウンターばかりが目立つゴール前であったが、57分、ついにユベントスが得点をあげる。ピルロからのパスを受けたアルバロ・モラタに対してモナコのストッパーのリカルド・カルバーリョが足をかけてしまう。微妙なプレーであったが、チェコ人の主審はPKをユベントスに与える。このPKをビダルが決めて、ユベントスが先制する。 ユベントスもモナコも堅守を誇り、それぞれ国内リーグでは最少失点を誇る。その後もモナコはチャンスをつかむがブッフォンが立ちはだかる。結局、モナコは16本のシュートを放ち、ユベントスの13本を上回りながらも、無得点に終わってしまう。
 しかし、アウエーでわずか1点差での敗戦、1週間後のモナコでの第2戦に向けて期待の持てる負けであった。(続く)

このページのTOPへ