第1951回 チャンピオンズリーググループリーグ終盤戦(2) パリサンジェルマン、2位確定
4年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。
■マルメの新スタジアムに収まらない観衆のために公園に大スクリーン
前回の本連載ではズラタン・イブラヒモビッチの出身地であるマルメについて紹介した。フランス代表はマルメでこれまでに3回試合を行っているが、これらはマルメ競技場で行われ、現在、マルメには新しいスウェドバンク競技場が建設された。マルメ競技場は1958年のワールドカップ、1992年の欧州選手権と2回のビッグイベントを経験したが、新たなスウェドバンク競技場は2009年の21歳以下の欧州選手権に向けて完成した。しかし、収容人員は2万4000人にとどまる。マルメの人口は25万人、多くのファンがマルメの生んだ大スターのプレーを見たいが、とてもそれに見合うキャパシティーではない。
イブラヒモビッチはマルメ市と協力し、市の中心部の公園に大スクリーンを準備し、スタジアムで観戦できない多くの市民の期待に応えた。
■ズラタン・イブラヒモビッチの後継者、マルクス・ローゼンベリ
さて、このグループリーグ第5節、パリサンジェルマンはマルメに勝利すれば決勝トーナメント進出が決まる。また、引き分けた場合でももう1つの試合でシャフタール・ドネツク(ウクライナ)がレアル・マドリッド(スペイン)に引き分け以下の場合には決勝トーナメント進出となる。
パリサンジェルマンを迎え撃つマルメは昨季のリーグチャンピオンであり、18回のリーグチャンピオンはエーテボリと並んで国内では最多である。しかし、今季はすでに10月末に終了し、5位に終わっている。
マルメの中心選手は主将のマルクス・ローゼンベリである。1982年にマルメで生まれ、マルメのユースに所属し、プロとしてのキャリアをマルメで開始している。イブラヒモビッチより2歳若く、同時期にマルメに所属していただけではなく、マルメからアヤックス・アムステルダム(オランダ)に移籍したところまで同じ道を歩んでいる。その後、ドイツのブレーメン、スペインのラシン・サンタンデール、イングランドのウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンを経て、2014年にマルメに戻ってきた。
■チャンピオンズリーグではほぼ1年間ノーゴールのイブラヒモビッチ
マルメのファンにとってはもちろんマルメがパリサンジェルマン、レアル・マドリッドに連勝し、決勝トーナメントに進出することを期待しているが、現実的にはかなり難しいところである。それよりも故郷の英雄イブラヒモビッチの得点を見たいところである。そのイブラヒモビッチであるが、今季のチャンピオンズリーグではまだ得点を記録していない。イブラヒモビッチがチャンピオンズリーグで最後にゴールネットを揺らしたのは昨年12月のバルセロナ(スペイン)戦のことであり、ほぼ1年間、欧州の舞台ではノーゴールが続いている。
■イブラヒモビッチのゴールなどでパリサンジェルマンが大勝
満員の観衆で埋まったこの試合、パリサンジェルマンのキャプテンマークを腕に巻くのはイブラヒモビッチである。パリサンジェルマンが一方的に試合を支配した。開始早々の3分に若手の20歳のアドリアン・ラビオが先制点をあげる。マルメの守備陣に囲まれた中でアクロバティックなヘディングシュートを決める。14分にはアンヘル・ディマリアが追加点を奪う。
後半に入り、最初にゴールネットを揺らしたのはファンが最も待ち望んでいたパリサンジェルマンの背番号10、イブラヒモビッチであった。ブレーズ・マツィディからのパスを受けたイブラヒモビッチはマルメのGKと1対1となり、カーブをかけたシュートはゴールネットに吸い込まれ、チャンピオンズリーグでほぼ1年ぶりのゴールを思い出深いマルメの地で決めたところは千両役者のなせる業であろう。
地元ファンの前で一矢報いたいマルメであるが、PKを失敗するなどゴールが遠い。一方のパリサンジェルマンは68分にディマリアがこの日2点目のゴールをヘディングで決め、82分にはルーカスがFKを決めて、5-0と大勝する。
同日に行われたシャフタール・ドネツク-レアル・マドリッドは、一時はレアル・マドリッドが4-0とリードしたが、シャフタール・ドネツクが残り12分で3点をあげ、4-3と逃げ切った。
この結果、グループAの首位がレアル・マドリッド、2位がパリサンジェルマンと上位の順位が確定したのである。(続く)