第2412回 10月のチャンピオンズリーグ (7) 古巣に戻ったティエリー・アンリ新監督、欧州での初陣はドロー
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■ティエリー・アンリが監督に就任したモナコ
第1節ではアウエーで第1シードのイングランドのマンチェスター・シティを破ったリヨンも、その後勝ちがなく、順位も後退したが、リヨンの翌日に第3節の試合を行ったパリサンジェルマン、モナコも思うように勝ち点を積み上げることができなかった。
10月24日は18時55分からモナコがアウエーでクラブ・ブルージュ(ベルギー)と対戦、21時からパリサンジェルマンがホームでナポリ(イタリア)と対戦した。
モナコの不振ぶりは前々回の本連載で紹介したとおりであるが、その後も低迷が続き、リーグでの順位はさらに下がり19位、最下位のギャンガンと勝ち点で並んでいる。このモナコ、ついに監督を交代した。10月中旬にレオナルド・ジャルディム監督を更迭、後任にはティエリー・アンリが就任した。
■モナコでプロ生活をスタートさせたアンリ
ベルギー代表のコーチとして今回のワールドカップでは有名になったが、このアンリはモナコでプロ選手としてのキャリアをスタートさせ、下部組織から通算すると5年間、トップチームでは4年間モナコでプレーし、その後はユベントス(イタリア)経由でモナコ時代の監督であるアルセーヌ・ベンゲルの率いるアーセナル(イングランド)に移籍している。代表チームやアーセナルでの活躍は良く知られているが、17歳という若さでプロデビューしたモナコ時代のことについては意外と知られていないが、プロデビューも代表デビューもアンリの所属はモナコであった。アンリを発掘したのはベンゲル監督であったが、アンリがモナコのトップチームに昇格するのとほぼ同時期にベンゲルは名古屋グランパスエイトの監督に就任している。
■国内デビュー戦のストラスブール戦は黒星
そのチームにアンリは監督として戻ってきた。実に19年ぶりのことである。ベルギー代表のコーチとしての実績からワールドカップ後にはボルドーから監督のオファーがあったものの、アンリはベルギーにとどまる意思を表明した。しかし、古巣のモナコが危機に瀕しているとあって、モナコからの誘いには応じ、10月13日には2020-21シーズン終了までの期間で監督を務めることが決定した。ちょうど発表の時期は代表チームの試合の時期であり、クラブの試合はなく、アンリの初陣は10月20日のリーグ戦のストラスブール戦となった。日本の川島英嗣が所属しているチーム相手の試合とあって日本の皆様もこの試合の結果については良くご存じであろう。ホームのストラスブールが前半に1点を先行、追うモナコは後半に入って66分に2分前に交代出場してきたばかりのサミュエル・グランドシルがレッドカードで退場してしまう。84分には追加点を奪われ、万事休す。救いはアンリのベルギー代表時代の教え子となるユーリ・ティーレマンスがアディショナルタイムの94分に1点を返したことであった。
■勝手知ったベルギーでの第1戦は引き分け
アンリ新監督の第2戦がチャンピオンズリーグのクラブ・ブルージュ戦である。選手としては国際試合での圧役が目立ったアンリにとって、この夏まで務めていたベルギーでの試合となる。アウエーとはいえ、チームも熟知している。
勝ち点ゼロ同士の戦いであるが、この第3節と第4節で連勝すればチャンスは広がる。試合を支配したのは青と黒のクラブ・ブルージュであった。しかし、先制点をあげたのはモナコ、32分にアレクサンドル・ゴロビンのパスをこの日1トップに入ったムッサ・シラが決める。劣勢の中での先制点であったが、39分にはウェズレイのゴールで追いつかれてしまう。その後もクラブ・ブルージュは逆転のチャンスがあったが、この日のモナコのゴールを守った第4GKのロイック・バディアシルが再三の好セーブを見せ、引き分けとなる。モナコはかろうじて初めての勝ち点をあげたのである。
アンリはチャンピオンズリーグに選手としてはモナコ、アーセナル、バルセロナ(スペイン)で13回にわたって出場したが、監督としての初陣を飾ることができなかったのである。(続く)