第2432回 決勝トーナメントに2チーム進出 (4) パリサンジェルマンを迎えるマラカナ

 7年前の東日本大震災、一昨年の平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■勝利すれば決勝トーナメント進出の決まるパリサンジェルマン

 チャンピオンズリーグに参戦したフランス勢、モナコは早々に3位以下が決まったが、リヨンとパリサンジェルマンは2位で最終節を迎える。
 最終節は12月12日と13日に行われ、グループCのパリサンジェルマンが12日に登場した。パリサンジェルマンはレッドスター・ベオグラード(セルビア)とアウエーで対戦するが、勝利すれば決勝トーナメント出場が確定する。また、3位のリバプール(イングランド)がナポリ(イタリア)に引き分け以下であってもパリサンジェルマンは欧州の頂点への戦いを継続できる。また、パリサンジェルマンが引き分け、リバプールが勝利するとナポリを含めた3チームが勝ち点3で並ぶが、この際は3チームの直接対決の結果となり、リバプールが2点差以上、あるいはロースコアの1点差で勝利した場合はパリサンジェルマンが2位以内に入る。

■ヨーロッパリーグ出場権のある3位を目指すレッドスター・ベオグラード

 一方のレッドスター・ベオグラードは3位のリバプールとの勝ち点は2差、ヨーロッパリーグ出場権のある3位になるためにはホームでパリサンジェルマンに勝利し、リバプールとナポリでの結果を待ちたい。
 リーグ戦では開幕14連勝と欧州五大リーグの記録を更新したパリサンジェルマンであるが、このところ2戦連続してドローと調子を落としているのが気にかかる。

■レッドスター・ベオグラードの本拠地、ニックネームはマラカナ

 1958年2月にミュンヘンの悲劇と言われるマンチェスター・ユナイテッドの選手の飛行機事故はチャンピオンズカップのレッドスター・ベオグラード戦からの帰路に起こった事件である。その当時はまだレッドスター・ベオグラードは2万人規模のスタジアムを使用していたが、1963年に完成したのが現在のレッドスター競技場、マラカナというニックネームがついている。
 5万5000人収容であるが、1960年代には10万人の観客を集めたことがあり、その光景がブラジルのマラカナンを連想させたことから、マラカナという愛称で呼ばれている。レッドスター・ベオグラードの本拠地としてだけではなく、旧ユーゴスラビア、現在のセルビア代表のホームスタジアムとして世界のファンには知られた競技場である。1970年代にはビッグゲームも行われ、ヨハン・クライフ擁するオランダのアヤックス・アムステルダムがチャンピオンズカップで3連覇を決めたのも、1976年の欧州選手権でチェコスロバキアが西ドイツを破って優勝したのもこのスタジアムであった。冬場になると観客数が少なるというのは観客が防寒のため着ぶくれするからという逸話が残っているほど、冷戦時代はファンがサッカーを楽しみにしていた。公式な有料入場者数の最多記録は1975年4月のカップウィナーズカップの準決勝のフェレンクバロス(ハンガリー)戦の96,070人という数字が残っている。そしてマルセイユを決勝で下した1991年のチャンピオンズカップの準決勝ではバイエルン・ミュンヘンと対戦したが、この時は試合の2時間前にすでにスタジアム周辺には8万人以上の観客が集まったと言われている。

■マラカナでは強さを誇るレッドスター・ベオグラード

 しかし、その後はユーゴスラビアの解体に伴う内戦の影響もあり、名門レッドスター・ベオグラードも長いトンネルに入ってしまった。しかし、今季、チャンピオンズリーグの本戦に久しぶりに復帰したことは本連載第2408回で紹介したとおりであり、26年ぶりのチャンピオンズリーグ本戦出場となった。
 パリサンジェルマン、リバプール、ナポリという強豪ぞろいのグループCに入り、前半戦は勝利をあげることはできなかったが、第4節ではマラカナでリバプール相手に2-0と勝利した。また、ホームでは強く、今季は国内リーグ戦では10戦全勝、そしてチャンピオンズリーグのグループリーグでもリバプール戦勝利、ナポリとは引き分けと強豪相手に引けを取らない。
 このマラカナでの勝利を期して、パリサンジェルマンはベオグラードに乗り込んだのである。(続く)

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