第2722回 パリサンジェルマン、 準優勝に終わる(6) パリ生まれ、パリ育ちのキングスレー・コマンが先発
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■ノックアウト形式では初対決となる両チーム
第2718回から第2721回の本連載で紹介した通り、これまでパリサンジェルマンはバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)とチャンピオンズリーグで4回、合計8試合戦ってきた。その戦績は5勝3敗とパリサンジェルマンが勝ち越している。リヨンとバイエルン・ミュンヘンの対戦の時にも紹介したが、どうしても対戦相手として多くなるのはビッグクラブであり、往々にしてこれらのチームとの対戦成績は分が悪いが、パリサンジェルマンはバイエルン・ミュンヘンに優位な成績を残している。
ただし、いずれもグループリーグでの対戦であり、決勝トーナメントでの対戦はこれが最初となる。バイエルン・ミュンヘンはこれまで決勝トーナメントを含むノックアウト形式でフランス勢と4回戦っているが、そのうち3回は勝ち抜いており、決勝トーナメントでバイエルン・ミュンヘンを倒したフランスのチームは1969-70シーズンのサンテチエンヌだけであるが、この時はすべてがノックアウト方式で行われており、1回戦でのことであった。
■初の公式戦からちょうど50年となるパリサンジェルマン
バイエルン・ミュンヘンが勝てば7年ぶり5回目の優勝、パリサンジェルマンは初優勝となる。バイエルン・ミュンヘンは1976年から3年連続でチャンピオンズカップで優勝しているが、当時はパリサンジェルマンは生まれたばかりのチームであった。パリサンジェルマンは当時2部に所属していたサンジェルマンがパリのクラブと合併してできた人工的なクラブであるが、初の公式戦は1970年8月23日のことであった。2部リーグのポワチエとのアウエーの試合であった。すなわち、決勝戦の行われる2020年8月23日はパリサンジェルマンが初めて公式戦を戦ってからちょうど50年という記念すべき日に行われるのである。
バイエルン・ミュンヘンも今年はクラブ創立120周年という区切りの年である。チャンピオンズリーグではグループリーグから10戦全勝、42得点、8失点という成績、パリサンジェルマンは8勝1分1敗、25得点、4失点という成績であり、決勝を争うのにふさわしい数字を残している2チームが残ったと評価されるべきであろう。
■両チームとも準決勝との先発メンバーの入れ替えは1人だけ
無人のルッス競技場のピッチに立った両チームの先発メンバーは次のとおりである。まずホーム扱いのパリサンジェルマン、GKは負傷から戻ってきたケイロス・ナバス、DFは右からティロ・ケーラー、チアゴ・シウバ、プレスネル・キンペンベ、フアン・ベルナト、MFは中央にマルキーニョス、右にアンデル・エレーラ、左にレアンドロ・パレデス、FWは中央にネイマール、右にアンヘル・ディマリア、右にキリアン・ムバッペである。準決勝ではナバスが負傷していたため、セルヒオ・リコが出場したが、フィールドプレーヤーは全員が準決勝と同じ顔ぶれとなった。
アウエー扱いのバイエルン・ミュンヘンであるが、赤いファーストユニフォームでこの試合に臨む。GKはマヌエル・ノイアー、DFは4バックで右からヨシュア・キミッヒ、ジェローム・ボアテンク、ダビド・アラバ、アルフォンソ・デービス、MFは低い位置に2人、右にチアゴ・アルカンタラ、左にレオン・ゴレツカ、攻撃的なMFは3人、右にセルジ・ニャブリ、中央にトーマス・ミューラー、左にキングスレー・コマンを起用する。1トップはロベルト・レバンドフスキという布陣である。
■パリサンジェルマンの下部組織で育ったキングスレー・コマン
バイエルン・ミュンヘンも準決勝とほとんどメンバーを変えず、1人入れ替えただけであるが、それが左サイドの攻撃的MFのコマンである。本連載の読者の皆様であればよくご存じの通り、パリ出身のフランス代表選手であり、パリサンジェルマンの下部組織で育成された選手である。アマチュア資格のまま、パリサンジェルマンのトップチームの試合に出場したこともあったが、ちょうど大型補強の始まった時期であり、自らの出場機会を求めてイタリアのユベントスに移籍、そしてバイエルン・ミュンヘンで5シーズン目を迎えた。欧州の頂点を争う試合で、自らを育てたチームと対戦するのである。(続く)