第2817回 パリサンジェルマン、マンチェスター・シティと対戦(1) 日本代表に4連勝したマンチェスター・シティ

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、台風15号、19号、令和2年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■準決勝の相手はマンチェスター・シティかボルシア・ドルトムント

 パリサンジェルマンはチャンピオンズリーグの決勝トーナメントの1回戦でバルセロナ(スペイン)、準々決勝でバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)と強豪を破って準決勝に進出した。準々決勝以降の組み合わせは決まっており、パリサンジェルマンの準決勝の相手はマンチェスター・シティ(イングランド)とボルシア・ドルトムント(ドイツ)の勝者である。パリサンジェルマンは第1戦をホームで戦うことになる。
 ボルシア・ドルトムントとの過去の欧州カップでの戦績は1勝2分1敗、グループリーグで2分、決勝トーナメントで1勝1敗、その決勝トーナメントは昨季のチャンピオンズリーグの準々決勝、得失点差でパリサンジェルマンが勝ち抜いている。第2戦のパリでの試合は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて初めての無観客の試合、パリサンジェルマンが2-0と勝利して逆転したが、パルク・デ・プランスの周囲を無数のファンが取り囲み、感染拡大の初期の様子を象徴していた。
 一方、マンチェスター・シティとはこれまでに欧州の舞台では2分1敗である。グループリーグがホームアンドアウエーでなかった時代のUEFAカップのグループリーグで引き分け、5年前のチャンピオンズリーグの準々決勝では1分1敗で敗れている。

■第1戦、第2戦ともフィル・フォデンの決勝点でマンチェスター・シティが連勝

 パリサンジェルマンの準決勝の相手を決める英独の戦いであるが、第1戦はマンチェスターで行われ、マンチェスター・シティが先制したが、ボルシア・ドルトムントが終盤に追いつき、このままドローかと思われたが、90分にフィル・フォデンが決勝点をあげて勝利した。
 ドルトムントでの第2戦はパリサンジェルマンが準決勝進出を決めた翌日に行われた。ホームのボルシア・ドルトムントが先制したが、マンチェスター・シティはリヤド・マフレズのゴールで追いつき、フォデンが第1戦に続き、決勝点をあげて、2-1で勝利、2試合とも勝利し、準決勝ではパリサンジェルマンと対戦することになった。

■日本では苦戦したバルセロナ、バイエルン・ミュンヘン

 マンチェスター・シティは近年ライバルのマンチェスターユナイテッドをしのぐ勢いがあるが、ここまでパリサンジェルマンが決勝トーナメントで戦ってきたバルセロナ、バイエルン・ミュンヘンに比べると欧州での栄光をまだ手にしていないチームである。しかし、本連載の読者の皆様は、バルセロナやバイエルン・ミュンヘンよりもマンチェスター・シティの方が日本では印象深いのではないだろうか。
 バルセロナはこれまでに訪日したことは3回あるが、日本代表とは対戦したことがない。1990年に初来日の際には日本リーグ選抜と駒沢で対戦、3-2と辛勝に終わっている。 バイエルン・ミュンヘンもしばしば来日しているが、日本代表との対戦は西ドイツ時代の1975年1月の2試合だけである。前年の西ドイツワールドカップで優勝した代表チームの主力であったフランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラーなどが訪日したが、日本代表とは2試合とも1-0の辛勝であった。

■主力抜きでも4試合連続完封勝利したマンチェスター・シティ

 それと比べると1976年5月に訪日したマンチェスター・シティは別格の強さを見せつけた。建国200年を迎えた米国にイングランドが代表チームを派遣したために、当時のクラブ史上最高の移籍金で獲得したジョー・ロイル、主将のマイク・ドイル、GKのジョー・コリガンなどが訪日しなかったが、日本代表と対戦し、4連勝した。しかも内容がワンサイドであった。リーグカップの決勝でオーバーヘッドキックを決めてヒーローとなったデニス・チュアートが国立競技場での第1戦で先制点を決め、3-0と勝利、第2戦、第3戦ともポール・パワーの得点で1-0と連勝する。最終戦は国立競技場に戻ってきて、ここでもチュアートが先制点を入れて、2-0と4連勝、結局日本は4試合で1点も取ることができなかった。日本代表と4試合を行い、これだけの一方的な成績を残したチームはないことは日本の皆様はよくご存じであろう。そのマンチェスター・シティとパリサンジェルマンが戦うのである。(続く)

このページのTOPへ