第3064回 チャンピオンズリーグ開幕 (4) 悲願の初優勝後の欧州スーパーカップでは大敗

 平成23年の東日本大震災、平成28年熊本地震、平成30年7月豪雨、台風15号、19号、令和2年7月豪雨などで被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、被災地域だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■黄金時代が始まったパリサンジェルマン

 カナルプリュスが資本参加し、ビッグクラブとなったパリサンジェルマンは1992-93シーズンにはUEFAカップでイタリアのナポリ、ベルギーのアンデルレヒト、スペインのレアル・マドリッドという強豪チームを下し、準決勝ではイタリアのユベントスと対戦、欧州三大カップで3回目の対戦となったが、パリサンジェルマン戦には初出場となったロベルト・バッジョ一人に3ゴールを許し、連敗した。この大会でもユベントスは優勝し、パリサンジェルマンに勝利した大会はいずれも優勝した。
 三度目の正直とはならなかったパリサンジェルマンであるが、ここから黄金時代を築く。続く1993-94シーズンはマルセイユの連覇をストップし、2回目のリーグ優勝を果たす。そしてカップウィナーズカップではキプロスのAPOELニコシア、ルーマニアのウニベルシタテア・クラヨーバを下し、準々決勝で前年にUEFAカップで対戦したスペインのレアル・マドリッドと対戦、マドリッドでの第1戦に勝利し、パリでの第2戦は引き分け、白い巨人を返り討つ。準決勝の相手はイングランドのアーセナル、パリサンジェルマンが初めて欧州三大カップでイングランド勢と対戦した。パリでの第1戦は引き分け、ハイベリーでの第2戦に敗れ、決勝進出はならなかった。

■3年連続で欧州三大カップの準決勝で敗退

 そして1993-94シーズンはチャンピオンズリーグに出場、前身のチャンピオンズカップと合わせると2回目の挑戦となる。予備戦でハンガリーのバーツに勝利して、グループリーグではドイツのバイエルン・ミュンヘン、ロシアのスパルタク・モスクワ、ウクライナのディナモ・キーウと対戦する。いずれの国のチームとも初対戦となった。なんとパリサンジェルマンは6戦全勝で決勝トーナメントに進む。1回戦(準々決勝)はスペインのバルセロナと初対戦、アウエーの第1戦で引き分け、ホームの第2戦で勝利する。準決勝はイタリアのACミランと対戦、ホーム、アウエーとも連敗し、3年連続で異なるカップ戦で準決勝敗退となった。

■1995-96シーズンのカップウィナーズカップを制す

 ようやくパリサンジェルマンが栄光をつかんだのは1994-95シーズンであった。カップウィナーズカップに出場し、1回戦(ベスト16決定戦)でノルウェーのモルド、2回戦でスコットランドのグラスゴー・レンジャーズを連勝で退ける。準々決勝ではイタリアのパルマと1勝1敗であったが、得失点差で上回り、4年連続の準決勝はスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャと対戦した。パリサンジェルマンは2戦とも1-0と勝利し、クラブ史上初の決勝に進出した。決勝は1回戦制、相手はオーストリアのラピッド・ウィーン、ベルギーのブリュッセルという地の利もあり、パリサンジェルマンは29分にブルーノ・エンゴッティがあげた1点を守り、1996年5月8日、欧州の頂点に立ったのである。

■欧州スーパーカップでユベントスと対戦、大敗を喫す

 カップウィナーズカップの勝者として欧州スーパーカップにパリサンジェルマンは出場する。フランス勢でこれまでスーパーカップに出場したのはパリサンジェルマンだけである。1995-96シーズンのチャンピオンズリーグ優勝チームはユベントス、1996年には欧州選手権が開催されたこともあり、1997年の初めにホームアンドアウエー形式で対戦した。1996年暮れにはインターコンチネンタルカップで訪日したことからこの時のユベントスのメンバーは日本の皆様はよくご存じであろう。ジネディーヌ・ジダン、アレッサンドロ・デルピエーロ、クリスチャン・ビエリ、アンジェロ・ペルッツィ、パオロ・モンテーロなどである。
 1997年1月15日にパルク・デ・プランスで行われた試合では、ユベントスが6-1と一方的なスコアで勝利、パリサンジェルマンはライーの1得点だけであった。そして2月5日にはユベントスのホームゲームが行われたが、ユベントスはより多くの観客を集めるためにトリノ以外で試合を行う。パレルモで行われた試合には3万5000人が集まり、ユベントスはデルピエーロのゴールで先制、パリサンジェルマンはライーのPKで追いついたが、その後ユベントスはデルピエーロとビエリが得点をあげ、3-1と連勝した。
 これがパリサンジェルマンとユベントスの最後の対戦となったのである。(続く)

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