第3362回 マルセイユも準決勝へ(2) ベンフィカと欧州カップで3度目の対戦
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■パリサンジェルマン-バルセロナ戦と並んで注目を集めたマルセイユ-ベンフィカ戦
その長い旅を続けているマルセイユが準々決勝で対戦するのが、ベンフィカである。ベンフィカと言えば、日本サッカー協会の前身である日本蹴球協会が創立50周年を記念して招いたことから日本の皆様にとってはおなじみのチームであるが、マルセイユのファン、関係者にとっては特別な感情のあるチームである。
チャンピオンズリーグの準々決勝のパリサンジェルマンとバルセロナ(スペイン)の顔合わせが、2016-17シーズンの「カンプノウの奇跡」というバルセロナの大逆転劇の再現であることで注目を集めたが、ヨーロッパリーグの準々決勝のマルセイユとベンフィカの顔合わせも1989-90シーズンの当時のチャンピオンズカップの準決勝のカードと同じということで注目を集めた。
■ハンドによるゴールに泣いた1990年のチャンピオンズカップ準決勝
本連載でしばしば紹介してきたが、当時のマルセイユのベルナール・タピ会長は選手を補強し(当時は外国人枠が3人)、ほぼフランス代表というチームを作りあげ、シルビオ・ベルルスコーニ会長のACミラン(イタリア)との決勝を目指していた。マルセイユはベロドロームで行われた第1戦は2-1で勝利し、リスボンに乗り込んだ。両チーム無得点で迎え、このままいけばマルセイユの決勝進出が決まるという82分、ベンフィカのバータが手でゴールに入れる。12万人の観客は目撃したが、VARはなく、マルセイユの抗議は却下された。アウエーゴール2倍ルールが存在していたため、2試合通算スコアは2-2であったが、マルセイユはリスボンで涙をのんだのである。
■2009-10シーズンのヨーロッパリーグでもベンフィカと対戦したマルセイユ
パリサンジェルマンが「カンプノウの奇跡」の後、バルセロナと2020-21シーズンに対戦しているのと同様、マルセイユもベンフィカとその後対戦している。2009-10シーズンのヨーロッパリーグの決勝トーナメント2回戦(ベスト8決定戦)である。チャンピオンズリーグのグループリーグで3位になってヨーロッパリーグの決勝トーナメントに回ったマルセイユは1回戦でデンマークのFCコペンハーゲンと対戦、アウエー、ホームとも連勝して、2回戦でベンフィカと当たる。
この模様については本連載第1077回から第1080回で紹介しているが、1990年とは対戦順が逆になり、リスボンで第1戦が行われた。また、この間にリスボンは2004年の欧州選手権、マルセイユは1998年のワールドカップがあり、両方とも競技場がリニューアルされている。この時のマルセイユの監督はバータのハンドに泣いた試合で選手として出場していたディディエ・デシャンである。リスボンのルス競技場での試合、ベンフィカが後半の終盤に先制点をあげたが、マルセイユは終了間際にハテム・ベンアルファが同点ゴールをあげて、第1戦はドローとなる。
■ホームの第2戦で逆転負け、3度目の対戦で勝利を目指すマルセイユ
その翌週、マルセイユのベロドローム競技場での試合、アウエーゴール2倍ルールの存在した時代であるから、マルセイユはスコアレスドローでも勝ち抜くことができる。試合は終盤まで両チーム無得点、マルセイユの目論見通りとなり、さらに70分にマルセイユが先制点を入れる。ところがベンフィカは75分に追いつき、さらに90分に勝ち越しゴールを決める。アディショナルタイムに2点が必要となったマルセイユは第1戦のヒーローのベンアルファを投入するものの、出場してすぐにファウルで一発退場となる。マルセイユは1分1敗でベンフィカの前に再び屈することとなった。
ライバルのパリサンジェルマンが「カンプノウの奇跡」の屈辱を乗り越えて、次の対戦ではバルセロナに勝利したのに対し、マルセイユはベンフィカに再び敗れてしまった。マルセイユは、パリサンジェルマンがチャンピオンズリーグでバルセロナと対戦するのと同じタイミングで、ベンフィカとの3度目の対戦を迎えるのである。(続く)