第3478回 好成績で越年するフランス勢(1) モナコ、アウエーでアーセナルに敗れる

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■勝ち点10同士のアーセナル-モナコ戦

 前回までの本連載ではヨーロッパリーグに参戦したニースとリヨンの第4節から第6節までの戦いを紹介した。リヨンは4位で年内の対戦を終えたが、ニースは下から2番目の35位で残り2試合を迎え、決勝トーナメント進出はかなり厳しい。
 今回からはチャンピオンズリーグに出場しているフランス勢4チームの年内最終戦の戦いを紹介しよう。
 第5節を終えた時点で4チーム中3チームが勝ち点10(3勝1分1敗)で並んでいる、この3チームのうち順位の高いチームから順に紹介していこう。得失点差、総得点で最上位の8位になっているのがモナコである。モナコは12月11日にアウエーでアーセナル(イングランド)と対戦した。アーセナルもモナコ同様3勝1分1敗で勝ち点10、得失点差でモナコを上回っている。勝ち点10同士の戦いであり、この1戦に勝利したチームはトップ8入りに大きく前進する。

■縁のある赤白ユニフォームの両チーム

 会場のエミレーツ競技場でアーセナルは10月1日にパリサンジェルマンに勝利している。同じフランス勢のモナコ相手の勝利を期待して、この日も6万の観衆が詰めかけた。さて、この両チームは欧州カップで1回だけ顔を合わせたことがあり、ちょうど10季前の2014-15シーズン、チャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦で対戦している。第1戦はロンドンで行われ、アウエーのモナコが3-1で勝利する。ところがモナコで行われた第2戦ではアウエーのアーセナルが2-0と勝利する。1勝1敗、2試合通算成績でも並んだが、当時はアウエーゴール2倍ルールがあったため、モナコが準々決勝進出を決めている。モナコとしてはその時に続き、ロンドンでの勝利をあげたいところである。
 また、1990年代後半以降、アーセナルを大きく変えたのがアルセーヌ・ベンゲル監督である。日本の読者の皆様にとってはベンゲル監督は名古屋グランパスエイトの監督というイメージが強いが、名古屋グランパスエイトの監督になる前はモナコの監督を務めており、リーグ戦優勝は果たせなかったものの、フランスカップ優勝、そして多くの若手選手の育成などにより、ドイツのバイエルン・ミュンヘンの監督に招聘されるまで評価を高めたところで日本に行くことになった。ベンゲルが監督に就任した直後はロベール・ピレス、ニコラ・アネルカなどのフランス人選手が多数在籍し、アーセナルの歴史を変えたのである。
 そのように縁のある両チーム、ユニフォームも赤と白のツートンカラーであるが、そのデザインがユニークである点も共通している。今回の対戦ではアーセナルは胴体が赤で、腕の部分が白の伝統のユニフォームを着用するが、ビジターのモナコはグレース王妃がデザインした赤と白が斜めになっているファーストユニフォームではなく、モナコの宮殿をイメージした緑のセカンドユニフォームを着用した。

■得点機を逃したモナコ、ブカヨ・サカが先制点を決めたアーセナル

 試合はエキサイティングなシュートシーンの応酬となった。まず9分、モナコは攻め上がり、ペナルティエリアに入ったところでパスを回す。アーセナルのクリアも有効ではなく、最後はアレクサンドル・ゴロビンがシュートするが、枠をわずかに外れる。押し気味に試合を進めるアーセナルは25分、最後尾からのロングフィードを受けたガブリエル・ジェズスがモナコのGKラドスワフ・マジェツキと一対一になるが、マジェツキが見事にセーブする。さらに27分もマジェツキがビッグプレー、中盤のミスからボールを奪われ、再びジェズスと一対一となるが、これも防ぐ。しかし、34分、ジェズスの左からのクロスに右サイドから走りこんできたブカヨ・サカのシュートを止めることができず、先制を許す。

■勝利を確定させた交代出場のカイ・ハバーツ

 後半も70分過ぎまでモナコは健闘し、いつ同点に追いついてもおかしくなかった。しかし、アーセナルが70分にジェズスに代えてカイ・ハバーツを投入して、試合は決定づけられた。78分にはモナコのゴール前の横パスをハバーツが奪い、最後はサカがシュートを決める。さらに88分は左からのクロスをサカがシュート、これをハバーツがコースを変えて3点目。モナコはロンドンでの赤白ダービーで大差のスコアで敗れたのである。(続く)

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