第286回 フランスカップ本格化(7) バイヨンヌ、本拠地でボルドーを倒す
■ダービーマッチのうち最も注目を集めたバイヨンヌ-ボルドー戦
フランスカップのベスト16決定戦で最も注目を集めたカードはマルセイユ-パリサンジェルマン戦であるが、今回と次回紹介するバイヨンヌ-ボルドー戦は最も大きな波紋を与えたカードであった。
このカードは前回から紹介している3つのダービーマッチの中で最も注目を集めた。なぜならば、バイヨンヌだけはベスト32決定戦で1部リーグのガンガンを破ったと言う実績があり、前回紹介したフォントネイ・ルコントやブール・ペロナは地元開催を放棄したのに対し、バイヨンヌだけはバイヨンヌで試合を行うからである。
ピレネー山脈の近くにあるバイヨンヌでは、サッカーよりもラグビーが盛んである。総合スポーツクラブであるアビロン・バイヨンヌのラグビーチームには5年前に「フランス・サッカー実存主義」第59回で紹介したように村田亙が所属していたことから本連載の読者の方もよくご存知であろう。このクラブが創立されたのはちょうど100年前の1904年。すなわち今年はクラブ設立100周年ということになる。そしてこの100周年と言う記念すべき年にラグビーチームは2部リーグに相当するプロD2で2位、サッカーチームは4部に当たるCFAリーグで2位と、それぞれ優勝争いを演じており、上位リーグへの昇格は目前である。初夏の歓喜の前にサッカーチームはフランスカップでガンガンを破って、ボルドーと言うアキテーヌ地方の最大のクラブを迎えたのである。
■協会とボルドーからのクレームに反して地元開催したバイヨンヌ
バイヨンヌでは普段はラグビーチームの陰に隠れているサッカーチームが一躍注目を集めた。バイヨンヌのサッカー少年ならばいつの日かはボルドーのユニフォームを着ることに憧れたはずである。ボルドーのリオ・マブーダは15歳から17歳にかけてバイヨンヌに所属していた。そのような憧れの的、羨望のユニフォームが、現実にバイヨンヌにやってきてバイヨンヌとフランスカップと言う真剣勝負を行う。100年のクラブの歴史でも、なかなかあり得ないことである。バイヨンヌではボルドー戦のチケットを求めて大騒ぎとなった。ガンガン戦以降はサッカー場であるディディエ・デシャン競技場ではなくラグビー場であるジャン・ドージェ競技場を使用しているが、収容人員オーバーの観客が引き起こすトラブルを恐れるフランス協会は、ボルドー戦の観客を7600人に制限した。この協会からの人数制限はバイヨンヌ側の不満を引き起こす。ベスト32決定戦のガンガン戦では9000人の観衆を集めてもトラブルはなかったと主張する地元は協会と対立した。しかも相手のボルドーもバイヨンヌでの試合に難色を示す。試合の6日前の1月17日にラグビーの試合が行われ、グラウンドの芝が相当痛んでいると言うのがその理由である。このように協会と対戦相手からクレームが相次ぎながらバイヨンヌは地元開催にこだわる。これが勝利とその後の大騒動の原因となったのである。
■豪雨の中の熱戦、延長後半に決勝点
試合の行われた1月23日、この南西部地方は豪雨に見舞われ、グラウンドはラグビーすら試合開催が危ぶまれるような水溜りだらけとなり、水球の試合会場と化した。そしてこのような荒天であるにもかかわらず9600人が集まった。プールの中ではアマチュアのバイヨンヌはもちろん、プロのボルドーもボールコントロールが思うようにいかず、両チーム無得点のまま前後半が終了する。延長に入り、延長前半は無得点、延長後半も無得点が続き、このままPK戦か、と思われた117分、ペナルティエリアのすぐ外でボルドーの選手がファウルを犯し、バイヨンヌは好位置でのFKを得る。このFKをバイヨンヌのフレデリック・ブルナローが直接ゴールを狙う。ボルドー守備陣の壁の上を越えたボールはフランス代表GKのウルリッヒ・ラメも止めることができず、バイヨンヌは劇的勝利を飾り、町は大騒ぎとなったのである。
■ベスト8決定戦はホームでパリサンジェルマンと対戦
しかし、騒ぎはさらに大きくなった。1月25日の日曜日の午前中にベスト8決定戦の組み合わせ抽選会がTF1のテレフットという番組の中で行われたが、なんとバイヨンヌはまたもホームゲームを引き当て、そして対戦相手はマルセイユを破ったパリサンジェルマンとなったのである。ここで大きな問題が生じた。ベスト32決定戦(対ガンガン)、ベスト16決定戦(対ボルドー)と収容人員1万人以下のバイヨンヌのラグビー場で乗り切ってきたが、相手も相手であるだけに、これ以上バイヨンヌで試合を行うわけにはいかない。
バイヨンヌの首脳陣はベスト32決定戦の開催地として驚くべき場所を提案してきたのである。(続く)