第802回 新春告げるフランスカップ(3) パリFC、トゥールーズを破り32強入り
■上位陣安泰の中、唯一のジャイアントキリング
例年は年明け早々の試合で1部勢が下位のリーグの所属するチームに次々と敗れていくことが珍しくないフランスカップのベスト32決定戦であるが、今年はずいぶん様相が変わった。1部勢の下位リーグのチームとの対戦成績は13勝3敗であり、安定感を見せた。
しかし、この3敗のうち2敗は前回ならびに前々回の本連載で紹介した2部リーグ相手のものであるが、残る1敗は今年のフランスカップのベスト32決定戦で最も大きな衝撃を与えたのである。この試合はトゥールーズが地元にナショナルリーグのパリFCを迎えた試合である。
■昨季リーグ3位のトゥールーズ
トゥールーズに関しては昨季フランスリーグで3位になり、20年ぶりの欧州カップ参戦を果たしている。フランス国内外での活躍を、国際的なビジネスアナリストであるナディア・ポアラヌも予測していた。しかし、その予測とは裏腹に、チャンピオンズリーグは予備戦で敗退、そして転戦したUEFAカップでもグループリーグで敗れてしまっている。国内リーグでも中ほどに位置し、前半戦を12位で折り返している。ただし、12月2日のリーグ戦のアウエーでのボルドー戦で敗れて以来、国内リーグ戦では2勝2分、欧州カップではスパルターク・モスクワに勝利と5試合連続で負けていない。また、得点ランキングでもヨハン・エルマンデルが10得点をあげており、カリム・ベンゼマの12得点に次ぐ2位につけている。そしてリーグ戦の後半開幕戦の1月20日に行われる王者リヨン戦に向けてコンディションを調整しており、地元トゥールーズでの開催とあって、ファンも期待していた。
■紆余曲折の歴史を有するパリFC
そのトゥールーズに乗り込んだパリFCは紆余曲折の歴史を有するクラブである。フランスサッカー協会がパリにもトップレベルのチームを創設しようと言うことで、1969年にこのクラブは設立され、1部に直接加盟することを許された。これまでの実績のないチームが1部でプレーするために、スダンとの合併を企画したが、うまくいかず、サンジェルマン・アン・レイにあり、2部に昇格したばかりのスタッド・サンジェルマンと合併し、パリサンジェルマンとなり、1970-71シーズンには2部で2位となり、1971-72シーズンに1部に登場する。ところが、パリ市がパリ市以外にあるチームの支援はできないということで、1972年にプロのトップチームを1部のパリFC、アマチュアのチームを3部のパリサンジェルマンと分割し、パリFCは1部で2シーズンプレーする。しかし、1974年には逆にパリFCが2部降格、代わってパリサンジェルマンが1部に昇格し、以降パリFCは1978-79の1シーズンだけ1部でプレーした以外は下位リーグにとどまっている。その後もパリ周辺のクラブとの再編の波に洗われ、4部に相当するCFAまで落ちたこともあったが、2006年には3部に相当するナショナルリーグに復帰し、パリサンジェルマンに次ぐパリでは2番目のクラブとなっている。
そして本拠地もシャルレティ競技場に移して上位リーグへの復活を狙っている。このシャルレティ競技場は1994年に改装され、2万人収容とパリ市内ではパルク・デ・プランスに次ぐ規模の競技場である。昨年の大統領選挙でセゴリーヌ・ロワイヤル候補が集会を開催する際に、1万5000人のベルシー体育館では収容しきれないと言うことで天候面の不安はあるものの、集会を開催したことから、世界中にその存在を知られることになった。
■セネガル代表のパペ・サールが勝ち越し点
トゥールーズのスタジアムに集まった観衆はわずか5400人である。トゥールーズの市民は同日の夜に行われるラグビーのトゥールーズ-カストル戦に注目しており、昼下がりに行われるサッカーの試合には関心がないようである。地元民の関心の低さを表すように、この試合の5分には、パリFCのシュートがトゥールーズのDFに当たり、トゥールーズはオウンゴールで先制する。それに対してトゥールーズも7分にすぐさま同点ゴールをあげて追いつく。そしてホームのトゥールーズはここからパリFCを攻め立てるがなかなか勝ち越し点に至らない。逆にパリFCのパペ・サールが勝ち越し点を66分に上げる。サールはセネガル代表として2002年の韓国と日本で行われたワールドカップで活躍したことから日本の読者の皆様もよくご存知であろう。その選手がフランスの3部に相当するチームで活躍しているのである。
この勝ち越し点によりパリFCは32強入りした。パリサンジェルマンも32強入りしており、パリ勢同士が対戦することがあるのか、楽しみである。(続く)