第1096回 パリサンジェルマン、フランスカップを獲得 (2) CFAのクビリー、準決勝進出
■ほぼ順当に1部勢がベスト8に進出
前回の本連載ではチャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグの決勝トーナメントに進出していたリヨン、ボルドー、マルセイユ、トゥールーズが、フランスカップではベスト8に残ることができなかったことを取り上げた。
さて、ベスト8決定戦の結果と、ベスト8の顔ぶれを紹介しよう。まず、唯一の1部勢同士の対戦は前回紹介したとおり、モナコがボルドーを2-0で下している。それ以外の7試合はすべて1部勢が下位のリーグのチームの挑戦を受ける形になった。7チームのうち、ランス、サンテエチエンヌ、オセール、パリサンジェルマン、ソショー、ブローニュの6チームは順当に勝利した。
■レンヌ戦も無失点、8試合連続完封勝利したクビリー
唯一波乱となったのがクビリー-レンヌ戦である。クビリーは4部に相当するCFAに所属しているが、本連載第803回でも紹介している通り、2年前のフランスカップでも上位に進出している。聖堂で有名なルーアンに隣接したノルマンディーの都市のクラブである。今年もベスト16決定戦では2部のアンジェを破って1部のチームへ挑戦することになる。一方のレンヌは昨年のフランスカップ準優勝チーム、決勝戦では2部のギャンガンとのブルターニュ決戦となったが、1-2と敗れている。試合はクビリーの隣町のルーアンに1万2000人の観衆を集めて行われ、クビリーが前半終了間際の得点を守り切って1-0で勝利した。
クビリーは昨年10月の4回戦から参戦しており、このベスト8決定戦は8試合目である。この8試合のうち上位のリーグのチームとの対戦は上記のアンジェ戦、レンヌ戦ならびに8回戦のパシ・シュール・ユール(ナショナル)戦の3試合であるが、注目すべきは8戦で無失点であるということである。8試合で得点25、失点0という驚異的な成績で準々決勝進出である。
■クビリー、4部のチームとして史上3回目の準決勝進出
準々決勝は3月23日と24日に行われ、2月中旬に行われたベスト8決定戦から1月以上のインターバルがあった。注目のクビリーは準々決勝最初の試合、23日の18時に第二のホームとなったルーアンのロベール・ディオション競技場でブローニュを迎えることになった。ブローニュはリーグ戦では下から3番目の18位、降格の危機に瀕しており、チームの勢いはない。
黄色いユニフォームのクビリーは立ち上がりからブローニュを圧倒する。11分、27分とゴールを決め、リードを奪う。前半ロスタイムの47分にブローニュに得点を許し、今大会初の失点を喫したが、後半に入って67分に得点をあげてブローニュを突き放す。結局、3-1というスコアで準決勝一番乗りを決める。4部に相当するCFAからの準決勝進出はフランスカップの歴史の中で3回目である。
■歴史的な1927年の決勝に進出したクビリー
現在クビリーはCFAでプレーしているが、かつては強豪チームであった。フランスカップの準決勝進出はこれが3回目である。1927年はサン・ラファエルを破り、決勝まで進み、1968年は準決勝でボルドーに敗れている。
1927年当時、フランスにはまだ全国規模でのリーグ戦はなかった。船舶の修理会社を経営していたアマブル・ロザイが会社の中にチームを作ったのがこのクラブの起源である。両大戦の間であり、船舶の修理工場は基幹産業であり、多くの労働者を抱えた。その時流に乗ってクビリーは企業チームとして実力を蓄え、前年もベスト16まで進出した。決勝の相手は前年のベスト8決定戦で敗れ、優勝したマルセイユである。
1927年のフランスカップ決勝はエポックメーキングなものであった。まず、前年の決勝はリヨンで行われたが、1927年の決勝はパリ近郊のコロンブに戻って行われ、この後の決勝は現在に至るまでパリ近郊で行われている。そしてこの年の決勝にガストン・ドメルグ大統領が臨席した。日本の皆様ならばパリにある大学都市の日本館の設立時の大統領としてよくご存じであろう。以来、フランスカップには国家元首が臨席している。そしてこの決勝は初めてパリ以外のチーム同士の対戦となった。フランスカップが文字通りフランス国内全体の大会となった。試合はマルセイユが3-0と勝利したが、クビリーは歴史的な決勝の一員となったのである。
次回は83年ぶりの決勝を目指すクビリーのライバルを紹介しよう。(続く)